m's New York cafe
nycafe.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
Newport旅行記 Vol.2
Newport旅行記 Vol.2_c0061496_18223527.jpgすっかり間が開いてしまいましたが、ニューポート旅行記の続きです。クリスマスイブのこの日は、
Winter Passportを使って、The ElmsとMarble Houseを見学しました。贅を尽くしたマンションと美しいクリスマスのデコレーションに、うっとりとに酔いしれた1日でした。

12月24日(Christmas Eve)
10:00 The Elms見学
11:30 昼食&散策
14:00 Marble House見学
15:30 散策
16:00 夕食
17:00 Newport出発
18:00 New London到着
19:00 フェリーにてNew London 出発
20:00 Orient Point到着
21:30 帰宅



◆The Elms
ペンシルバニアの炭鉱で財を成したエドワード J.バーウィンドによって建てられたサマーハウスです。1888年にThe Elmsを購入したエドワード J.バーウィンドは、その後間もなく結婚し、1899年、夫人とともに新しい屋敷を建てることを決めました。

建築に当たったのは当時ニューポートやニューヨークで名をはせた著名な建築家ではなく、フィラデルフィアの建築家Horace Trumbauerでした。当時31歳だったHorace Trumbauerは、16歳で建築事務所の小間使いとして働き始め、8年後に独立。その後の7年の間にフィラデルフィアで3つの大きなお屋敷を設計しましたが、フィラデルフィア以外での本格的な屋敷の建築はこれが初仕事だったそうです。また彼は同世代の有名な建築家としては珍しく、パリでの勉強経験も海外旅行の経験もありませんでした。

しかしながら1901年春、彼はフランスの装飾者たちの協力で、18世紀中期にフランスのパリ郊外に建てられたシャトー・ダスニュエールをモデルとしたライムストーンのマンションを見事に完成させ、彼のフランス建築に関する豊かな知識を十分に証明したのでした。こうして彼のニューポートでの仕事ぶりは評価され、その後The Elmsと同じBellevue Avenue沿いのChetwode、Clarendon Court、Miramarの建築に携わったそうです。

ちなみにThe Elmsの総工費は1,400万ドルともいわれ、玄関を入ってすぐの階段の雰囲気が優雅で、なんともいえない雰囲気がありました(残念ながら写真はありません)。

なお下の外観写真からもうかがえる通り、この建物は中心に円形のセクションがあり、その両サイドに同じ大きさのウイングがあるというシンメトリカル建築の良いお手本なのだそうです。また、外観を見ただけでは2階建てのように見えますが、実は欄干の下に隠れるように3階が設けられており、スタッフ用の16の部屋と3つの浴室などがあるそうです。ちなみにキッチンやランドリーは地下にあり、The BreakersやMarble Houseのように屋敷から海を臨むことはできませんが、その代わり広大な庭が広がっていました。

Newport旅行記 Vol.2_c0061496_1822648.jpg1922年に夫人が亡くなると、エドワード J.バーウィンドは未婚の妹ジュリアを呼び寄せ、ニューポートとニューヨークの屋敷を管理させました。彼は亡くなる3年前、85歳まで仕事を続けたそうですが、夏の週末はここで過ごしていたようです。

なお、彼の死後は引き続きジュリアによって屋敷は管理されていましたが、1961年に彼女が亡くなると売却され、翌年より一般公開が始まったそうです。

Newport旅行記 Vol.2_c0061496_18213234.jpgNewport旅行記 Vol.2_c0061496_18214458.jpg

Newport旅行記 Vol.2_c0061496_1911457.jpgNewport旅行記 Vol.2_c0061496_720571.jpgNewport旅行記 Vol.2_c0061496_19111413.jpg



◆Marble House
Newport旅行記 Vol.2_c0061496_18222521.jpg1888~92年にかけて、ウイリアム・K・バンダービルト夫妻が建てたサマーハウスです。木造の別荘が並んでいたューポートが、贅沢な石造りの邸宅が並ぶリゾート地に変化するきっかけとなったマンションとも言われるそうです。名前の通り建物の内外にふんだんに大理石をに使っているのが特徴で、実際に13,500立法メートルにも及ぶ大理石が使用され、総工費1100万ドルのうち700万ドルが大理石に費やされたのだそうです。


設計はThe Breakersと同じリチャード・モリス・ハントで、ベルサイユのトリアノン宮殿をイメージしたそうです。家主のウイリアム・K・バンダービルトはコーネリアス・バンダービルト提督の孫で、The Breakersを建てたコーネリアス・バンダービルト2世の年下の弟に当たるそうです。ちなみにこの館は夫人の39歳の誕生日に贈られたものだそうで、さすがはバンダービルト家というか、世界の大富豪だけあってプレゼントも桁違いなのに驚かされます…。

ウイリアム・K・バンダービルト夫妻には3人の子供がありましたが、建物の完成から間もない1895年に離婚します。妻のアルバは翌1896年に再婚してこの家を離れますが、館は39歳のときに贈られたままの状態で保存したそうです。そして1908年に未亡人となると再びこの屋敷に戻り、ここで婦人参政権運動のための運動を積極的に行ったそうです。会議や資金調達のための催しが何度か開催されたそうで、食器洗い場のキャビネットには「婦人に参政権を」と書かれた食器が収められているそうです。

ちなみにバンダービルト夫妻の3人の子供のうち、長女のコンスエロは社交界の美として有名で、マールボロ第9公爵である、チャールズ・スペンサー・チャーチルと結婚しました(後に離婚)。これは当時最も大きなイベントのひとつだったそうで、19世紀末に見られた米国家族と欧州貴族の結婚のさきがけとなったそうです。また末息子のハロルドはヨット操縦者として有名で、アメリカズカップを3度も防衛したそうです。

なお、マンションは1932年にフレデリック・H・プリンス氏に売却され、その後1963年に保存協会に売却されたそうですが、バンダービルト夫妻の思い入れが詰まったままの状態で公開されているようです。

Newport旅行記 Vol.2_c0061496_18224514.jpgNewport旅行記 Vol.2_c0061496_18225330.jpg


そうそう、豪邸つながりということで…。NYにある日本の国連大使の公邸も、実はバンダービルト一族が建てたもののひとつなのだそうです。1999年に購入した際の価格は2,100万ドルで、当時のレートで約24億円だったそうです。100年以上前に建てられた歴史的家屋のため、改修などに4年の歳月と910万ドルがかかったそうで、国連日本代表部によると「各国の国連代表部が集まるニューヨークで日本外交を展開するのにふさわしい拠点が必要」だったとのとです。ちなみに旧公邸は10数億円で売りに出たそうです。え~っと、これって税金??
by ny-cafe | 2006-01-06 18:23 | Travel☆Travel