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ノーマン・ロックウェル美術館
8/5~6の週末は、タングルウッド音楽祭に行くため1泊2日のドライブ旅行に出かけてきました。昨年も行ってみたかったこの音楽祭、今年は8月5日の1日だけ小澤征爾さんが指揮をするこということでどうしても行きたかったのです。

PAの我が家からだとニュージャージーとニューヨークを越えるため、走行距離は片道およそ 240マイル。久々のロングドライブとなりましたが、夏の思い出がひとつできました。早速旅行記をアップします。

c0061496_333654.jpg8/5(土)
09:20 出発
13:00 ノーマンロックウェル美術館見学
15:30 音楽祭会場到着
17:20 ゲートオープン
20:30 演奏開始
22:00 演奏終了
23:00 ホテル着

8/6(日)
09:30 ホテルチェックアウト
10:00 シェイカービレッジ見学
14:00 シェイカービレッジ発
18:00 PA到着


ノーマンロックウェル美術館
コンサートは夜からだったため、コンサート会場からも程近いノーマンロックウェル美術館に寄り道しました。日本でもおなじみのノーマン・ロックウェルは、1894年2月3日、上流階級の子供としてNY市で誕生します。両親を画家に持つロックウェルは、幼い頃からイラストレーターになることを夢見たそうで、14歳の時The New York School of ArtのArtクラスに入学します。

しかし2年後の1910年には、NYのThe National Academy of Designで絵の勉強をするため15歳で高校を中退、アルバイトを重ねながらThe Art Students Leagueでトーマス・フォガーティやジョージ・フリッジマンに師事し、勉強を重ねたそうです。中でもジョージ・ブリッジマンに学んだ正確で緻密な描写をするテクニックは、後に彼の作品の大切な要素となったそうです。

ロックウェルは若くして成功した芸術家のひとりで、16歳になる前に描いた4枚のクリスマスカードのための作品が、最初の仕事だったそうです。その後10代のうちにボーイスカウトの機関紙「Boy's Life」のアートディレクターを任され、子供向けの出版物のためにさまざまな作品を描きながらフリーのイラストレーターとして活躍したそうで、21歳のときには成功したイラストレーターが多く集まるNY州のNew Rochelleに漫画家クライド・フォーサイスと共同でアトリエを構え、有力紙を含む雑誌のために作品を描いたそうです。

そして翌年1916年には、22歳にして初めて雑誌「The Saturday Evening Post」の表紙絵を描いたそうですが、当時この雑誌の表紙を手がけることはイラストレーターとしての頂点を極めたことを意味したそうで、これから47年間、ロックウェルは322点の作品を同誌の表紙のために制作したそうです。

c0061496_3164336.jpgDonnaさんのHP、Over The Horizon!ノーマンロックウェルのページによれば、「22歳から描き始められたロックウェルの作品のおかげで「The Saturday Evening Post」は廃刊を免れたと言われるそうで、またこの表紙の仕事を始めてからさらにひっぱりだこの人気者となったロックウェル自身も、自らを起用してくれたことを感謝し、他誌から高額の依頼があった時もこの仕事を手放すことはしなかった」とのことです。


プライベートではこの年、アイリーン・オコナーと結婚します。彼女のとの結婚生活は1930年に終わりを向かえますが、同じ年の終わりにメアリー・パーストゥと再婚し、ジャーヴィズ、トーマス、ピーターの3人の息子をもうけます。メアリー・パーストゥとの結婚生活を送っていた1930~1940年代はロックウェルの経歴の中で最も輝かしい時代とも言われるそうですが、1939年にヴァーモント州のArlingtonに居を移たロックウェルは、より田舎的なアメリカ社会を反映した作品を描くようになったそうです。またこの頃から第二次世界大戦をテーマにした作品に取り組んだようで、1943年にはフランクリン・ルーズベルト大統領による議会講演「四つの自由」を基にし、「Freedom of Speech(言論の自由)」、「Freedom to Worship(信仰の自由)」、「Freedom from Want(生活する自由)」、「Freedom from Fear(平和への自由)」という作品からなる「The Four Freedoms」という連作を発表しました。

これらの作品は「The Saturday Evening Post」に当時の著名人のエッセイとともに掲載されて大変な人気となり、ポスト誌と米国財務省の後援により16都市で巡回展が開催されたそうです。このとき各展示開催都市では戦時国債が販売されたそうで、1億3000万ドル(当時のレートで約468億円)もの戦争資金を集めるのに貢献したそうです。

ただし1943年は不幸な出来事もあったようで、煙草の火から出火した火災でArlingtonのスタジオを全焼させてしまい、作品の多くを焼失してしまったそうです。Wikipwdeiaによれば、「彼は2000を超える作品を描いたそうですが、火災で多くを焼失し、残った作品のほとんどが美術館の恒久的所蔵品となっているそうです。また彼のイラストを使った雑誌で完全な状態で残っているものも極めて少ないため、発見されると数千ドルの値が付く」そうです。

c0061496_2161957.jpg1953年になると、一家はマサチューセッツ州Stockbridgeに引越しします。しかし6年後に妻のメアリーが永眠。彼は息子トーマスの協力のもと、自伝「イラストレーターとしての私の冒険」を執筆し、亡き妻に捧げたそうです。「The Saturday Evening Post」はこの本からかなりの部分を抜粋して連載記事として掲載したそうで、左のTriple Self-Portraitが表紙に使われた刊は、8度も重版されたそうです。

ちなみにあまりにも有名な左の作品ですが、トリプルとは、鏡をのぞいている後姿のロックウェル、鏡に写っているロックウェル、キャンバスに描かれたロックウェルのことで、キャンバスに描かれている自画像が、鏡に映る実物より若くハンサムに描かれているところがユーモラスです。ロックウェルはこの自画像のように、実際にもパイプをくわえ、そしてコップに入れたコーク(常にコップにうつしたそう)を横に置いて製作したそうです。

c0061496_2163939.jpgまた彼の右足元には煙の上がるバケツがありますが、ポッキーさんのHP、ポッキーのボストン案内によれば、「彼はこの絵のようにパイプの吸い殻を無造作にバケツの中に捨てていた」ようで、43年の火災もこの火がもととなったとのことです。

なお、左はHPから拝借したアトリエの写真。キャンバスの上には自画像で描かれた金のヘルメットも飾られていて、係りの方によればアンティークを集める趣味のあったロックウェルですが、これはどこかのお土産やさんで買ったものとのことです。


1961年になると、ロックウェルはメアリー・パンダーソンと3度目の結婚をします。そして2年後の1963年には「The Saturday Evening Post」から「Look」誌に移り、その後10年にわたって表紙絵などを描いたそうです。「The Saturday Evening Post」との仕事を終わりにした理由としては、「The Saturday Evening Postが休刊になったため」とか、「経営危機に陥ったPostが編集者の入れ替えをしたため」とありましたが、どれが正しいのかは私には分かりません。

いずれにしてもロックウェルは「Look」との仕事で人種問題や貧困の絶滅、宇宙空間への進出など自らが深く関心を寄せていた作品を数多く残したそうで、後期の代表作 「The Problem We All Live With」も、「Look」誌に掲載されたようです。

c0061496_2391448.jpgWikipediaによれば、「The Problem We All Live With」は、「ニガー」という人種差別的な悪戯書きがされ、トマトが投げつけられた壁の前を、警察に守られながら通学する幼い黒人少女の姿(公民権運動の成果により、白人と同じ学校に通うことになった場面)を描いた作品」で、以前ESLの先生が「アメリカでは有名な作品」と言って見せてくれました。その時にはロックウェルの作品だと知らなかったので、今回美術館で見てびっくりしました。館内にはこの少女と兄が、白人たちの住むエリアに引越ししてきた日を描いた作品も飾られていました。


1973年になると、彼は自分の作品を保護するため、コレクションの保存組織を設立し、Stockbridgeのダウンタウンにあったオールド・コーナー・ハウス(美術館の前身)に作品管理を任せます。そして1976年になると健康を害したことをきっかけに、ダウンタウンにあったアトリエと、その中にあった作品、画材、作品制作のための記録資料や私物など、全てを美術館に委託したそうです。

そして1977年には、フォード大統領よりアメリカ国民として最高の栄誉である大統領自由勲章「メダル・オブ・フリーダム」を受賞。翌1978年11月8日、マサチューセッツ州ストックブリッジにて84歳で永眠したということです。


c0061496_2205617.jpgここからは館内にあった有名な作品について…。

左の「The Runaway」はあまりに有名でしょう。実はこの作品、同じタイトルで2度描かれていて、美術館には2枚並べて展示されています。最初に描いた作品は、背景のカウンターがごちゃごちゃしていたのと、カウンターの中の人物が警察官と年齢が近いのが気に入らなかったそうで、新たにJoe's Dinerに舞台を移して描き直したそうです。

Leeの町には今でもこのDinerがあるそうで、同じ日にタングルウッドを訪れたお友達は、ここでランチしてきたそうです。我が家は事前のチェックが甘かったため訪れることができず…。ロックウェル一家が住んだStockbridgeのダウンタウンにも行けなかったので、次回はリベンジしたいと思います。

ちなみに絵のモデルは当時31歳でマサチューセッツ州の警官だったボブ(ロックウェルの3軒隣に住んでいた)と、当時7歳でStockbridgeの小学生だったエド。ボブはロックウェルから警官役で絵のモデルになって欲しいと電話で頼まれたそうで、エドは学校のランチタイムに、絵のモデルを探していたロックウェルによって選ばれたようです。当時ロックウェルはStockbridgeの小学校によく行っていたようです。ちなみに美術館で説明してくれたおばあちゃまによると、この秋、美術館のイベントでボブとエドが再会するとのことです。


c0061496_2514156.jpg左は1954年9月25日発行の「The Saturday Evening Post」の表紙として描かれた「Breaking Home Ties(息子の旅立ち)」。オリジナルはロックウェルの友人でイラストレーターのドン・トラクティ氏が所有し、長いこと自宅に飾っていたそうです。

トラクティ氏の家に飾られていた絵については、専門家の間で少年の表情や色合いが違うことが指摘されていたそうですが、保存状態が悪いためと理解されていたそうです。しかし2005年にトラクティ氏がなくなり、今年3月にトラクティ氏の息子が絵がかけられた壁の裏に隠された本物を発見。現在はオリジナル、複製ともにノーマン・ロックウェル博物館に展示され、先日絵のモデルになったRobert Waldrop氏も、美術館を訪れたそうです。



c0061496_2545943.jpg左は「The Golden Rule(黄金律)」。Golden Ruleとは、多くの宗教、道徳や哲学で見出される「他人にしてもらいたいと思うように行為せよ」という考え方だそうです。この絵は1961年に発表されたもので、絵の一番右後方に、亡くなった妻のメアリー・パーストゥと、同じく幼くして亡くなった彼の甥(姪?)が描かれているそうです。

なお、国連のHPによれば、「ロックウェルは黄金律が世界中の主な宗教すべてに共通なテーマであることを訴えたいと、尊厳と尊敬を込めてすべての民族、信教、人種を描いた」そうで、国連創立40年を記念し、1985年に当時の大統領夫人であったナンシー・レーガンがこの絵を基にして作成されたモザイクを寄贈したそうです。オリジナルの絵にもモザイクにも、「おのれの欲するところを人に施せ」の銘が刻まれています。



c0061496_2411559.jpgc0061496_2413655.jpg
c0061496_3573155.jpgc0061496_3571990.jpg写真は美術館の風景。現在の場所に美術館が移転したのは1994年のこと。Housatonic River Valleyを見渡す36エイカーの土地に、白い美術館(左上)と赤いアトリエ(右上)がたたずんでいます。 (ロックウェルは赤が好きだったらしい。)

左の2枚は敷地内の案内板。どの絵から切り取ったか分かりますか??



なお、ロックウェルについては、色々な方が色々な視点から作品紹介などの文章を書いていて興味深いです。良かったら下記のサイトものぞいてみてください。
Over The Horizon!:ロックウェル以外にも偉大な画家の特集あり。
ノーマン・ロックウェルWEB美術館:作風について知りたい方必見。
ポッキーのボストン案内:作品紹介は一読すべし。またボストン旅行者は必読!
Jury Room:オリジナルのシャドーボックスも必見。
夢見る少女:とにかくたくさんロックウェルの作品を見たいという方におススメ。
by ny-cafe | 2006-08-07 11:36 | Travel☆Travel