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ドイツ旅行記 Vol.2
c0061496_21465295.jpg3日目は朝からあいにくのお天気でした。今まで自分は「晴れ女(男)だ」と思っていた私と旦那は、サンフランシスコに続く悪天候に、お互い「旦那(嫁)のせいだなぁ」と心の中でつぶやきながらのスタートとなりました。

☆3日目(9/16)☆
09:15 ホテル出発
10:00 ヨーロッパバスにてローテンブルクへ
(途中 ヴァイカースイスハイムでお城の見学)
11:50 ローテンブルク着
13:10 Eisenhutにチェックイン
14:00 市内観光ツアー参加
16:00 休憩
20:00 夜警ツアー参加



下の写真はヴュルツブルクのホテルの写真です。朝食を取ったレストランの窓からは、マリエンベルク要塞が見えます。晴れていればテラスで朝食も取れたのでしょうが、お天気にはかないません(涙)。 この日は早めにホテルを出発し、ヨーロッパバスに乗るため、タクシーで中央駅へと向かいました。

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c0061496_22342899.gifヨーロッパバスは、Deutsche Touring社の運行する定期バスで、ロマンチック街道や古城街道などをまわるコースが設定されています。中でもロマンチック街道をめぐるバスは、フランクフルト⇔ミュンヘンの双方向で1日1本運行され、ヴュルツブルクやローテンブルク、フュッセンなどの人気都市のほかに、鉄道では行きにくい小さな町にも停車するため、多くの旅行者に利用されています。

1日で走破してしまうと、ゆっくり町を見ることはできませんが、私たちのように何泊かしながら移動する旅行者にはぴったりです。ドイツらしい正確さで10:00直前にやってきたバスに乗り込み、この日はローテンブルクまで移動しました。

☆ヴュルツブルクのバス停は、中央駅のバスロータリーをこえた先のBismarck strにあります。


c0061496_21473696.jpgきっちり定刻どおり出発したバスは、牧草や畑の中を走り、10:40、ヴァイカースハイムのマルクト広場に到着しました。町に着く直前には、英語とドイツ語、それに日本語のアナウンスがあり、簡単にそれぞれの町の見所や歴史などを説明してくれました。

左の写真はバスの到着したマルクト広場です。教会の前にバスは止まり、ここから手前のほうに歩けば、ヴァンカースハイム城の入り口があります。


ガイドブックには「滞在時間は15分、庭園だけならバスの停車中に見学も可能」とありましたが、実際には20分の休憩時間があり、希望者はバスを降りたところで待機しているガイドさんに従って、広場のすぐ先にあるヴァンカースハイム城を見学することができました。



ヴァンカースハイム城はホーエンローエ家(Hohenlohe)の居城として、12世紀から利用されました。当初は他の城が建っていたようですが、16世紀末の改築により古い城を壊し、現在のルネッサンス様式の城を造ったそうです。その後18世紀になるとLudwig Carlが庭園をバロック様式に改造しますが、1756年にLudwig Carlが亡くなるとともにホーエンローエ家は途絶え、その後殆ど姿を変えずに現在まで保存されているそうです。

20分の停車時間に合わせた見学ツアーなので、私たちが見学したのは下の写真の騎士の間(Rittersaal)と庭園だけでしたが、全長40mもあるという騎士の間は圧巻でした。お庭は奥まで行く時間がなかったのが残念です…。それにしても、この見学ツアーの費用100円くらいって、安すぎませんか??

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by ny-cafe | 2005-09-22 21:47 | Travel☆Travel
ドイツ旅行記 Vol.1
20日の夕方、旅行から帰ってきました。今回の旅先はドイツでした。「行けたら良いなぁ」的に作ったロマンチック街道とオクトーバーフェスト旅行案が実現しました。記憶が残っているうちに、旅行記をアップしようと思います。


☆1日目(9/14)☆
17:30 ロングアイランド出発
19:00 JFK空港到着
21:20 UA8842便にてJFKからフランクフルトへ

朝から何かと落ち着かない1日でした。しばらく家を空けるため、冷蔵庫の中を空にしたり、洗濯や掃除をしているうちに夕方になってしまいました…。大急ぎで食事を取り、非常食のおにぎりを持参して空港へと向かいました。

今回私たちが利用したのはUA-8842便です。フランクフルト行きの共同運航便で、オリジナルの運行はルフトハンザ(LH)となります。そのため発着ターミナルはLHの使用するターミナル1となり、機内のサービスもLHとなります。初めて乗るLHのフライト、無愛想なUAよりは良いだろうと密かに楽しみにしていましたが、1時間半以上も出発が遅れ、その上機内には個人用のモニターもなかったので、睡魔に襲われるがままひたすら眠っていたら、フランクフルトに到着しました。


☆2日目(9/15)☆
12:30 フランクフルト到着
13:09 ICE725にてフランクフルト空港駅出発
14:26 ヴュルツブルク駅到着
15:00 レジデンツ見学
16:00 市内散策
18:00 Schlosshotel Steinburgへ

c0061496_2231349.jpg出発が遅れたせいで、フランクフルト到着は12時頃となってしまいました(予定では10:45到着)。NY-フランクフルトの飛行時間はおよそ7時間半、時差は6時間あるので、NY時間にするとまだ朝の6:00です。眠い目をこすりながら入国審査と通関を済ませ、ATMでユーロを調達し、13:09発のICE725でヴュルツブルクへと移動しました。

c0061496_130223.jpgICE(InterCityExpress)はドイツ鉄道(通称DB=Deutsche Bahn)の超特急列車で、Wikipedeiaによれば「ドイツ国鉄の昼行旅客列車では最上位の列車で、座席の間隔が広く、オーディオ設備を備え、Bistro(半室の軽食堂車)も連結されて、居住性のレベルが高いのが特徴」なのだそうです。 電車の中ではずっと眠っていたので細かいことはわかりませんが、確かに電車の中は清潔で乗り心地も快適でした。

左は1等席の入り口です。6人がけ程度の個室になっていて、その奥に私たちの乗った2等の席がありました。1等2等とも高級感があり、身なりの良いビジネスマンも2等に座っていました。ちなみにフランクフルト-ヴュルツブルクの料金は、1等47ユーロ、2等30ユーロです。


定刻どおりにヴュルツブルクに到着したあとは、駅のコインロッカーに荷物を預け、いよいよロマンチック街道を巡る旅のスタートです。

ロマンチック街道の基点となるヴュルツブルクの歴史は古く、紀元前1000年頃にはケルト人が住み始めたそうです。その後375年から始まるゲルマン民族の大移動により、この地はフランケン族(=フランク族/ゲルマン民族に属す)に征服され、650年頃にはフランケンの公爵領居城が建設されます。

686年になると、キリアン司教とアイルランド人修道士がやってきて、当時のフランケン公領ゴスペルト公にキリスト教への改宗をすすめます。しかし領主の重婚を認めなかったため、使徒たちは殺害されてしまいます。(ガイドブックにはゴスペルト公が兄弟の未亡人と結婚したため、妻との離婚をすすめた使徒たちを妻が殺害したという説明がありました。)その後何十年もたったあと殺害が明らかになると、殉教者たちは聖人となり、ヴュルツブルクは巡礼地となりました。そして741年に司教区となり、皇帝でも王でもなく、ローマ教会の統治する領地となります。

11世紀になると、ヴュルツブルクは都市権(貨幣を鋳造する権利、税金を徴収する権利、市をひらく権利)を得て発展します。司教は次第に領主としての性格も帯びるようになり、1168年、皇帝フリードリッヒ1世が司教に領主と同等の権限が認めたため、宗教的権力と政治的権力を持った司教たちが丘の上にマリエンベルク要塞を築き、「司教公爵」としてその力を強めて行きました。

一方町はフランケンワインの生産、集荷、販売の中心地として、そしてマイン川を使った水運の中心地として栄えます。利益をめぐってしばしば市民と司教が衝突し、ドイツ農民戦争が勃発した1525年には、一時農民軍は司教が立て籠るマリエンベルク要塞を包囲するに至ります。この戦いは神聖ローマ帝国の援軍が来て鎮圧されますが、ヴュルツブルクの市参事会は市長以下団結して農民軍の側に立ち、農民圧制への従軍を拒否したため、扇動者として前市長で天才彫刻家として知られるティルマン・リーメンシュナイダーは捕らえられ、財産を没収されてしまいました。リーメンシュナイダーは2ヵ月後に釈放されますが、厳しい拷問は彼の彫刻家としての命を奪い、以降は作品を残すことなく、1531年失意のうちに亡くなります。そして以降300年間、歴史の中に忘れ去られたと言われます。

残念ながら第二次世界大戦の末期に爆撃を受け、町のほとんどが破壊されてしまいました。しかし戦後苦心して再建され、現在のような美しい中世の雰囲気を復活させ、この地方の経済的な中心地となっているそうです。

ざっと町の歴史について書きましたが、世界史の知識がない上、参考にしたものによって内容が異なるため、間違いがあるかもしれません。どうかご容赦ください(汗)。


さて、ここからは観光編です。

◆レジデンツ(Residenz)
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ナポレオンが「ヨーロッパで一番美しい司教の住まい」と感嘆したというこの建物は、1720~44年に建築されました。18世紀になり政局が安定すると、それまでの戦乱に備えた要塞のような住居が必要なくなったため、司教の宮殿をマリエンベルク要塞からレジデンツに移しました。バロックの天才建築家とうたわれたバルタザール・ノイマンの最高傑作といわれ、完成まで24年の歳月を要したそうです。現在は世界遺産に登録されています。

館内に足を踏み入れると、最初に天井の高い大きな広間があり、右手に庭園の間(Gartensall)、正面に階段の間(Treppenhaus)があり、2階に白の間(Weisser Saal)、皇帝の間(Kaisersaal)、鏡の間(Spiegelassal)があります。

中でも有名なのが階段の間で、天井には奇跡的に戦火を逃れた世界最大のフレスコ画「四大大陸」が描かれています。天空を舞う神々と4大陸を人格化した女神を描いたもので、階段の踊り場から見て正面にヨーロッパ、右手にアフリカ、左手にアジア、背中にアメリカが描かれていたと思います。オーストラリアはまだ発見されていなかったので、このフレスコ画には描かれていないそうです。またアジアの絵には牙の大きな象が描かれていましたが、当時のヨーロッパ人はアジアの象を見たことがなかったため、アフリカ象が描かれてしまったそうです。

作者はヴェネチアのフレスコ画家ティエポロで、「飛ぶ足場」という簡単な足場を使ってわずか13ヶ月で完成させたそうです。大砲の上にむっつりと座っているのがノイマンと言われるそうですが、修復作業中のため全体の半分くらいしか見ることはできませんでした…。

階段を上がると、レースのような白い漆喰(スタッコ)とフレスコ画で飾られた白の間があり、この部屋の隣、庭に面した部屋の右扉から、皇帝の間と鏡の間へ進みます。このふたつの部屋に続く入口の扉には鍵がかかっていて、ツアーに参加しなければ見学することができません。ツアーは英語とドイツ語のみで、英語ツアーは11:00~と15:00~の1日2回です。残念ながら私の英語力ではほとんど理解できませんでしたが、中に入るだけでも価値はあると思います。ちなみに料金は入場料に含まれるそうです。

時間がなかったため、ティエポロのフレスコ画が残る宮殿南翼のホーフ教会(Hofkirche)は素通りし、宮殿付属庭園(Hofgarten)を散策することにしました。庭園から眺めるレジデンツは美しかったです。なお、地下には1704年創業のワインケラーがあり、試飲ができるそうです。 

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◆大聖堂(Dom)
レジデンツのあとは、大聖堂(Dom)を見学しました。正式には「聖キリアン大聖堂」というこの教会は、ドイツのロマネスク教会を代表する大聖堂で、ドイツで4番目に大きいそうです。ガイドブックには「再建された身廊の柱には歴代大司教の墓碑があり、中でもリーメンシュナイダーの手によるシェーレンベルク大司教の彫刻は必見」とありましたが、どれがリーメンシュナイダーの作品なのかわかりませんでした(涙)。写真は左が内陣の天井レリーフ、右が右側翼廊の祭壇です。

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下の2枚は、左が正面から見た大聖堂、右は今回見学できなかったノイミュンスター教会です。ノイミンシュター教会は市をキリスト教に改宗させた3人の使徒が殉職した場所に建ち、地下の墓所には聖キリアンの墓があるそうです。

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◆マリエンベルク要塞(Festung Marienberg)
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マイン川を渡り、長い長い坂道を登った丘の上に建つのが、マリエンベルク要塞(Festung Marienberg)です。この要塞の歴史は古く、706年にケルト人の砦があった場所に聖母マリアのための礼拝堂(マリエン礼拝堂)を建立し、これを囲むようにして1201年から要塞を築城したことからMarienbergと呼ばれるようになったそうです。1253年~1719年までは大司教の居城としても使われました。

要塞は築城後様々な様式で増改築が繰り返されたため、とても複雑なつくりをしているそうです。また自治を望む都市と争っていたため、城はより強固にされ、城壁や壕で守り固められたそうです。現在は司教の住居と市の歴史を展示する領主博物館と、彫刻家ティルマン・リーメン・シュナイダーの世界最大のコレクションを収容するマインフランケン博物館がありますが、この日はすでに閉館していたため、しばらく要塞を散策しました。

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こちらはマリエンベルク要塞からの眺めです。ゆるく長い坂道を上るのは大変ですが、美しい景色が待っています。
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要塞を散策したあとは、再び長い坂道を下り、マイン川にかかるアルテ・マイン橋を渡って市街地に戻りました。下の写真はアルテ・マイン橋からの大聖堂の眺めです。プラハのカレル橋のように、欄干に聖人像が建っています。
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この日は早めに見学を終え、ぶどう畑に囲まれたSchlosshotel Steinburgへと向かいました。マリエンベルク要塞とは反対側の丘の上に建つ古城ホテルで、1897年に建てられたお城をホテルにしたそうです。ヴュルツブルクの町並みとぶどう畑、それにマリエンベルク要塞という素晴らしい眺めを堪能することができます。また、館内のレストランは宿泊者以外の利用者も多いようで、もちろんおいしい白ワインにもありつけます。

駅からはタクシーで15分ほどかかり、ホテルの周りには何もありませんが、お部屋は広く、家具も雰囲気がありました。また水周りは新しく、とても清潔でした。館内にサウナがあるようですが、この日はバスタブにつかりながら熟睡してしまうほど疲れていたので、早々にベッドに入りました。
by ny-cafe | 2005-09-21 20:51 | Travel☆Travel
Nail Salon
久々にネイルサロンに行ってきました。渡米してからすっかり敷居の高くなったネイルサロンですが、先月、先輩奥さんに連れて行ってもらい、アメリカのサロンに挑戦してみました。日本でも30過ぎてからの一大決心(爪をかむ癖を直すため…恥ずかしい!!)でいっとき通っていましたが、アメリカのネイルサロンの充実ぶりは比較になりません。今回は旅行前ということで、特別にマニキュアとペディキュアの両方をお願いしてみました。

まずはペデキュアから。
マッサージチェアとフットバスがセットになったようなイスに座り(実際にマッサージ機能付き)、簡単にカラーオフとファイリング(爪の形を整える)をします。その後ヒザから下をスクラブで丁寧にマッサージしながら洗い、お湯できれいに流した後、今度はクリームでヒザ下のマッサージ。かかとに皮膚をやわらかくするジェルを塗り、指の甘皮を丁寧に取ったあとで、爪の形を整え、カラーリング。乾くのを待ちます。

続いてマニキュア。
簡単なカラーオフとファイリングの後、手首から下のクリームマッサージ。指の甘皮を取ってから、再度爪の形を整え、カラーリングをして終了。

カラーリングは最初にベースコートを塗った後、マニキュアを2度塗りし、その上からトップコートを塗ります。カラーリングもファイリングも、進め方は日本とほぼ同じでした。また使用しているマニキュアもessieO・P・Iなど、日本でもお馴染みのものでした。

マニュキアが終わったら、乾燥用のマシンの前に移動して、20分ほど手足をそれぞれ風に当てながら待ちます。爪を乾かしてる間には簡単な肩のマッサージをしてくれ、乾き終わったら爪用のessieのエッセンスオイルを塗ってくれました。もう至れり尽くせりですね。

でもって肝心な料金は、ペディキュア$13、マニキュア$9、これに別途TIPが必要となり、今回は合計で$26払いました。

ちなみに日本で通っていたネイルサロンは、初回に入会金5,250円と月会費(日割り)を払い、翌月からは3,990円の会費を毎月払いました。会費でお願いできるのはカラーオフ(ただし自分で塗ったラメは有料)とファイリング、それにカラーリングだけで、予約は週に1回取るのがやっとでした。コンスタントに通っていたので1回当たり1,000円くらいの計算でしたが、これに甘皮取りをお願いすると、会員でも1回3,150円かかりました。どうです、アメリカのネイルサロン、お得な感じがしませんか??というわけで、月末日本からおしゃれな友人が遊びに来るので、時間があったら案内しようと思います!


c0061496_13264456.gifさてさて、夏の間、ロングアイランドでの生活を満喫していた我が家ですが(正確にはグーたらしていただけ)、いよいよ遅めの夏休みをとることになりました。またしても10日ほどブログをお休みします。
戻ったら旅行記をアップしようと思います。良かったらまた覗いてくださいね!
by ny-cafe | 2005-09-13 11:04 | アメリカ生活
davidburke&donatella
今日は珍しくレストランについてです。美食の街マンハッタンで、毎回吉牛ばかり食べてる私を、叔母夫婦がランチに連れて行ってくれました。叔母が選んだのは「davidaburke&donatella」です。「ロブスター料理がおいしい、ランチは$20~」というガイドブックの紹介文に、私も叔母もかなり心奪われました♪

61stのPark AveとLexington Aveの間にあるこのお店、外観はどこにでもあるレストランといった感じですが、中は白と赤を基調にしたおしゃれな雰囲気です。すでに1時半をまわっていたにもかかわらず、テーブルはほとんど埋まっていて、空いている席も予約が入っているとのことだったためカウンターに座りましたが、実際私たちの後にも次々とお客さんが入ってきていました。本当に人気店だったようですね…。

ランチは単品でお願いすることもできますが、Appetaizer、Main、Dessertを1品づつ選ぶコースもあります。値段も$20と$27でお得感たっぷりなので、今回は叔母に甘えてコースでお願いすることにしました。メニュー表は単品の料理名が並んでいるだけですが、コースで選べる料理は名前の前に印がついていて、その中から好きなものを選ぶようになっています。Dessertはどちらのコースを選んでも同じものをお願いできますが、AppetaizerとMainはそれぞれ異なる料理が設定されていました。残念ながら楽しみにしていたロブスターを丸々使った料理は、昼のメニューにはありませんでした。


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上の写真は私がオーダーした3品です。左からAppetaizer、Main、Dessertです。AppetaizerはRobster Bisqueをオーダーしました。コースで選べるロブスター料理がこれだけだったのでお願いしましたが、実は出てくるまでスープだとは知りませんでした(汗)。写真ではあまりおいしそうに見えませんが(涙)、かなりの絶品でした。スープの上にのっている春巻きは、ロブスターの身がぎっしり詰まっていて、細いのにボリュームたっぷり!スープもこってりしてるのにしつこくなくて、次々と他のテーブルにも運ばれていました。多分人気メニューだと思います。

Mainではシェフサラダをお願いしました。普段はMainにサラダなど選ばない私ですが、隣の方が食べているのを見てこれにしました。チキンやシーフードがたっぷりのっていて、これもボリューム満点でした。

最後のDessertはクレームブリュレにしました。日本人には少し甘いかもしれませんが、なめらかでこれも絶品です。ただしコースの最後にしてはあまりにお皿が大きすぎて、私は半分食べたところでギブアップでした。後ろのおばあちゃまはペロッと食べていましたけどね…。


c0061496_22341827.jpgちなみにパンはこんな感じで出てきます。小さなフライパンのようなお皿にのっていて、真ん中にはローズマリーがさしてありました。りんごのような形をしていて、外はしっかり焼いていますが、中がフワフワなのには驚きます。バターの出し方も凝っていて、なんだかとても優雅なランチを食べた気分になりました。



c0061496_22344515.jpg少し前も同じガイドブックを持った日本人が来たとかで、ウエイターのお兄さんはガイドブックを眺めていました。しばらく眺めた後「サインが欲しい??」と言うので、「Yes!」と答えたら、厨房へ行き、シェフのDavidburkeのサインをもらってきてくれました。ちょうど左のパンナコッタの写真が載っていましたが、Davidburkeはその写真の上にクラウンを描いていくれました。お兄さんは「自分の料理にクラウンを描くなんてクレイジーだね~」と笑っていっていましたが、きっとお茶目なシェフなのでしょう。お料理だけでなく、お店の雰囲気もとても良いレストランで、「マンハッタンは美食の街」を実感した1日でした。次回は旦那と出かけてみようと思います。
by ny-cafe | 2005-09-08 22:34 | Let's go Manhattan
秋の気配
「Labor Dayが終わるとアメリカは秋がやってくる」、そう自分のブログで書いておきながら、本当に秋になったことに驚いています。サマータイムのおかげで、朝は8時半近くならないと温かくならず、朝夕は随分と冷え込むようになりました。つい先日までは天井のファンを回さないと暑くて寝付けなかった旦那も、ついに「もう一枚毛布かけない?」と言い出し、私もこれまでのTシャツに短パンなどという寝巻き(?)では、朝方寒くて震えるようになりました。夏の間中、大きな日陰を作ってくれた木々も少しづつ枯葉となり、秋だなぁを実感する今日この頃です。

NYは春と秋が短いと聞きました。確かにGW中はまだまだ肌寒く、小雨の中ヤンキースタジアムに出かけたときなど、冬物の服やコート、それに手袋やマフラー、ブランケットまで持参したのに、試合中はずっと震えていました。東京に比べ、半月以上春になるのが遅いのは確かなようです。

それがMemorial Dayを終えたとたん、今度は一気に夏が来るのだから驚きます。梅雨がなく、その上今年は例年以上に暑かったこともあり、6月から8月の3ヶ月間、ひたすら暑い夏が続いていた感があります。以前シンガポールで働いていた友人が、「夏が終わったのにまだ夏」と溜息混じりに言っていたことがありましたが、少しだけその気持ちがわかった長い夏でした。

夏が終わり、間もなく本格的な秋を迎えるNYですが、その先に寒く長い冬があると思うと、なんだか気が重いです。私は寒いのが嫌いです。でもそれ以上に、家の中で過ごす時間が多くなる冬は、今の私には少しばかり脅威です。仕事をしていた頃はのどから手が出るほど欲しかった自由な時間を、この半年、見事にグーたらと過ごしてしまいました。

まこさんのブログ(楽貧生活)「目的が定まらず、漠然となにかしたいと思うときは、手を伸ばせば無理なく届くところから始めるのが一番良い」とありましたが、私は目的を探すことも放棄していたようです。さすがに反省ですね。この秋は少しだけ、これからの生き方について考えてみようと思います。

というわけで、久々に物思いにふけってみる…。これも秋の気配のなせる業かもしれませんね。
by ny-cafe | 2005-09-07 22:27 | 日々の出来事(in USA)
Labor Day&Tax Free Week
すっかり忘れていましたが、明日の土曜日から月曜までの3日間、アメリカはLabor Dayで久々の連休です。以前Memorial Dayについて書いたときにも触れましたが、アメリカはNational Holidayのほとんどが「○月の第△月曜日」というように決まっています。日本の勤労感謝の日に当たるLabor Dayは毎年9月の弟1月曜日で、労働者の功績を称える日としてお祝いされます。この日はまた、伝統的に夏の終わりを示す日でもあり、連休中は最後のバケーションに出かけたり、海や山、プールに出かける人も少なくなく、1年で1番車が混雑するとも言われるそうです。

そして勿論、NYではお買い物に行く人もたくさんいることでしょうね!何せ待ちに待ったTax Free週間なのですから♪(注:2005年は8/30~9/5です。)

他の州の事情はわかりませんが、NYでは毎年、Labor Day前の1週間、$110以下の衣類や靴、布やおむつは全部免税になるらしいのです。2月にも同じようにTax Freeの期間がありましたが、このときは詳細を知らずうまく恩恵にあずかることができませんでした。ちなみにNY市の消費税は8.375%、ロングアイランドの東にあるタンガーアウトレットの辺り(我が家の周辺も?)ではさらに高い8.625%です。

細かいことは良くわかりませんが、日本の消費税に該当するアメリカの「一般売上税」は、州ごとに税率を設定し、各州が税収を得る仕組みになっているようです。さらに市や郡が追加で徴収することができるため、日本のように一律5%というように決まっておらず、オレゴン州のように売上税自体が存在しない州もあれば、同じNY州内でも税率が異なるという事態が生まれるのだそうです。ちなみにNY市の場合、州税4.375%+市税4%=8.375%となるようです。ただしこの税金、日本のように買ったもの全てにかかるのではなく、食料品などは対象になるものもならないものもあって、実は未だに全くもって良くわかりません。

ちなみにNY市で最大の$110の買い物をした場合、税金は$9ちょっとです。「たかだか$9」と思うか、「$9も」と思うかは懐具合にもよりますが、お得であることは間違いありません。ということで、我が家も明日は朝からアウトレットに出かけようと思います。

そうそう、NY市内の税金についてですが、10月1日より$110以下の衣類や靴などは市税の4%が免除されるそうです。当初8月から実施の予定でしたが、10月に延期されたそうです。州税4.375%は今まで通りかかり、食品や$110以上のものも今までどおりです。ロングアイランドについてはどうなるのかわかりかねますが、税金が安くなるのは大歓迎ですね♪


すっかり脱線しましたが、肝心なLabor Dayの歴史についても少し調べてみました。

Labor Dayの歴史は、今から100年以上も前の1882年9月5日までさかのぼります。19世紀後半のアメリカといえば、南部と北部が対立が激化した時代で、奴隷制の存続と自由貿易を求める南部と、産業改革が進み、資本主義の発達した北部との間で、1861年南北戦争が勃発しました。この戦いは当初名将リーの指揮下で善戦した南軍が優位に戦いましたが、1863年1月のリンカーンによる奴隷解放宣言で形勢が逆転し、65年にリッチモンドが陥落したことで終止符が打たれます。

これにより合衆国は統一され、共和党の主導で南部の再建が図られました。そして憲法で正式に奴隷制度が廃止され、開放された黒人に公民権と投票権が与えられました。(注:南部諸州では、その後州法によって黒人の公民権や投票権を制限されたためこの法律は骨抜きになってしまいます。)

当時のアメリカは天然資源に恵まれ、石炭、石油、鉄鋼などを基本とする工業がめざましく躍進し、世界一の工業国へと発展する時代でもありました。そのため、工業発展の原動力のひとつとなる移民の数が大幅に増大した時代でもありました。当然ながら、生産効率をあげるための設備に力が注がれる一方で、過酷な労働条件や低賃金、未成年者の就労など様々な問題が生まれます。

こうした時代背景の中で、労働者は少しでも改善するために、次第に団結して労働組合を結成します。そして1882年9月5日、ついに「労働騎士団」と称する労働組合が、ニューヨークで初めて大きなパレードを行ったのでした。月曜日だったにもかかわらず、この日は20,000人もの労働者がパレードに参加し、その後あちこちでピクニックが催され、夜には花火も打ち上げられたそうです。このパレードはその後何年か継続され、次第に9月の第1月曜日を労働者の祝日とする風潮が広がっていきます。そして1887年、ついにオレゴン、コロラド、ニューヨーク、マサチューセッツ、ニュージャージーの5州でこの日を祝日とすることが決まり、1894年、ついに連邦議会でNational Hokidayにすることが決定したのだそうです。

ちなみにマンハッタンでは、Labor Dayの翌週9月10日に5番街でパレードが行われるようです。時差があるので日本ではちょうど選挙の当日ですね。残念ながら、私は今回の選挙は投票できないようです。(在外選挙の手続きをしていませんでした…。)

「財政の足りない分は金持ちから取ればいいという発想はやめてほしい」などと堂々と発言する某社長さんやら、「私のように政治に関心の無い人たちと、ティーパーティーでもしながら気楽に政治について語り合って行きたいと思います」などと発言する某料理研究家が立候補しているようですが、政治家の皆さん及び立候補してる皆さん、労働者のことも真剣に考えてくださいね~!
by ny-cafe | 2005-09-03 13:32 | 祝日
ガソリン代の高騰
以前2月に高い高いオイル代について書きました。その後ガソリン代は一時値下がりしたものの、すぐにまた値上がりし始め、ついに今週は$3.00の大台を突破、今日は軒並み$3.459という看板を目にしました。

この2週間はマンハッタンに出かけることが多かったので、いったいどのくらいのペースでガソリン代が高騰したのかはわかりません。でも先月24日、普段は使わない少々高いガソリンスタンドで、1ガロン$2.759でしぶしぶ給油したので、それから考えても10日で$0.7も値上がりした計算です。

商品のない先物取引ですら原油の価格が値上がりし続け、夏の間は給油トラックがガソリンスタンドに来るたびに、じわじわと値段が上がっていました。旦那とも「そのうち$3.00こえちゃうね」などとは話していましたが、正直なところ、ここまで一気にはね上がるとは思いませんでした。ハリケーンの影響もあるようですが、何せ我が家の周りのほとんどが$3.45前後になっているのだから恐ろしい限りです。このガソリン代の高騰、いったいどこまで行くのでしょうか…。

ちなみに前回、2月22日にガソリン代について書いたときは、1ガロン$2.119で悲鳴を上げていました。(3/13$2.039、3/16$2.059だった。)この頃は私の車を満タンにしても$22程度ですんでいましたが、次回は下手したら$35をこえる計算です。半年も経たない間に、ガロン単価が$1.40前後も値上がりしいたのですからたまったものではありません…。

ついでに書くと1ガロン=3.78541㍑だから、ガソリン代が1ガロン$3.45だと、1㍑当たりは$0.91くらいの計算です。今日のレートが$1=109.73円だから、日本円に換算すると1㍑当たり99.85円となり、高い高いといったって、日本に比べればまだ安い計算ですね。でも大きな都市を除き、買い物に行くにも仕事に行くにも車がないと身動きの取れないアメリカ社会、それも毎日毎日何十マイルも走る社会で、この価格はやっぱり痛いです…。2台とも燃費の悪いアメ車を買ってしまった我が家は、もうすでにお財布に若干の影響が出はじめています(涙)。

原油の高騰を受け、すでに航空会社は「燃油税」などという項目を設け、NY路線では航空券や空港使用料のほかに10,000円以上もの金額を旅行者から徴収していたようですが、今後はもっと影響が出て来るのでしょうね…。何につけたって輸送や移動のコストはかかる国だし、そもそも浪費大国だし…。ついでにクーラーはガンガンだし、暖房もガンガンだし…。

まぁ、無尽蔵に石油があると思っていたのか、省エネや環境問題についてあまり関心のあるとは思えなかったアメリカ社会には、これからのことを考えるちょうど良い機会になるのかもしれませんね…。何せセントラルヒーティングなんて、快適なことこの上なしだけど、もったいないこともこの上なしですからね…。
by ny-cafe | 2005-09-02 23:07 | アメリカ生活
U.S. Open 2005
c0061496_123846.jpgこんにちは。早いもので、あっという間に8月も終わり、今日から9月ですね。このひと月…、というかこの2週間、我が家はお客様ラッシュでかなりバタバタしていました。大学時代の友人と親戚、4組8人がはるばるNYまで遊びに来てくれたのです。我が家にも3組が滞在してくれました!本当にこんな遠くまで遊びに来てくれてありがとうございます!付き合ってくれた旦那様にも感謝です。

というわけで、今日は29日に叔母夫婦と旦那と出かけた 全米オープン(U.S.Open Championships)の写真をアップしようと思います。

毎年8月の最後の月曜日から2週間、ニューヨークのフラッシング・メドウで行われる全米オープンは、ご存知の通り1月の全豪オープン、5~6月の全仏オープン 、それに6~7月に行われるウィンブルドンと並ぶ、世界4大トーナメントのひとつです。


全米オープンの公式ホームページによると、1881年8月に最初の男子シングルスとダブルスの国内選手権がニューポートで開催されて以来、今年で125回目を数えるそうです。その後1887年にはフィラデルフィアで初のアメリカ国内女子シングルス選手権がスタートし、1889年には女子ダブルスが、1892年にはミックスダブルスが女子選手権に加わりましたが(ミックスダブルスは1921年以降男子ダブルスの大会と共に開催されるようになります)、 当時は各種目が別々に開催されていたようです。(注:第2次世界大戦中の1942年から46年までのわずかな間だけは、5種目全てをニューヨークのウェストサイド・テニスクラブで開催しました。)

大会の内容が大きく変わったのは、1968年のことです。会場をクイーンズ地区のウェストサイド・テニスクラブに移し、大会をオープン化し、プロ選手とアマチュア選手が一緒に出場できるトーナメントとして、5種目全てが同時に開催されるようになったのです。これによりたくさんの観客がつめかけるようになりました。特にナイトセッションには、仕事帰りの労働者やセレブたちが訪れ、次第に観客を収容しきれなくなったことから、会場を世界博覧会の跡地だったフラッシング・メドウに移転することになりました。そしてわずか18ヶ月で会場を完成させ、翌1978年の大会から、現在のNATIONAL TENNIS CENTERで開催されるようになったのです。


c0061496_11323430.jpg左は1997年に完成したNATIONAL TENNIS CENTERのセンターコート、「アーサー・アッシュ・スタジアム」です。2万3000人以上を収容する世界最大のテニス・スタジアムで、1968年の最初の全米オープンで優勝したアマチュア選手、アーサー・アッシュの偉業をたたえて命名されました。

黒人として初めてグランドスラムで優勝したアーサー・アッシュは、75年のウィンブルドンでも優勝しています。しかし当時のアメリカやヨーロッパの老舗テニスクラブは、黒人の入会やプレーを禁じているところが多く、露骨に差別する人も少なくなありませんでした。彼は長いこと人種差別の問題と戦うことになります。全米テニス協会ですら、アッシュを正当に評価しない時代だったのです。



c0061496_11321848.jpg彼は逆風の中、無償の試合にも数多く参加し、勝つことで差別撤廃を訴え続けました。そして一方ではジュニア育成のための活動にも積極的に取り組み、1969年には「ナショナル・テニス・リーグ」を創設します。(注:ウイリアムス姉妹もこのリーグの出身です。)

こうした彼のひたむきな努力やテニスでの実力は、次第に白人の心を動かし、世界中で彼を支援する声が生まれました。当時のアメリカやヨーロッパでは画期的なことでした。しかしそんな矢先、アッシュに更なる壁が立ちはだかります。病魔に倒れ、1983年に受けた心臓のバイパス手術で輸血からエイズに感染、93年に肺病のため帰らぬ人となったのです。テニスだけでなく、人権擁護やエイズ撲滅のための活動を続けた49年の生涯をたたえ、新たに完成したセンターコートに彼の名が刻まれたのでした。


c0061496_1132274.jpg勿論そんなことなど全く知らずに会場に出かけた私たちですが、全員がテニスをすることもあり、十分楽しむことができました。

初日の夜のセッショということもあり、試合前にはコート上でセレモニーがあり、さらに1試合目にはマリア・シャラポワ、2試合目はアンドレ・アガシのカードが組まれていたのですからたまりません。当日の朝、ようやく発表されたトーナメント表をネットでチェックした我が家は、出発前から大興奮でした!


c0061496_1232838.jpgこちらは初戦のシャラポワ選手です。全米オープンのためにデザインされた新しいナイキのウエアは、水色に黄色い縁取りがあり、この日はアンダースコートもバイザーも黄色でそろえていました。肝心の試合のほうは、最初の数ゲームこそポイントを先行されましたが、要所要所を厳しいコースで攻め、結局全てまくり返して6-1、6-1で圧勝しました。さすが世界ランキング2位(直前の1週間は1位でした)、実力の差を見せ付けました。長い手足が印象的だったシャラポワ選手、18歳というから末恐ろしいです。

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c0061496_1133491.jpg左は続いて出場したアガシ選手です。こちらも6-3、6-3、6-1と圧勝でした。サービスゲームはほとんど落とすことなく、中には立て続けに3つもサービスエースを取るゲームもあり、会場中から拍手と溜息が飛んでいました。ちなみにアガシ選手は1970年4月29日生まれの35歳、奥様は1988年に当時19歳の若さでグランドスラムと五輪の金メダル獲得という快挙を成し遂げたシュテフィ・グラフです。私がまだ学生だった頃から有名でしたが、今なおランキング9位をキープしているとは恐れ入ります。


c0061496_1320506.jpgこちらはNational Tennis Centerの見取り図です。一番大きなスタジアムがアーサー・アッシュ、その隣が「ルイ・アームストロング・スタジアム」です。世界博覧会の際、JAZZミュージシャンであるルイ・アームストロングの名を取ってコンサート会場として使われたことからこの名前が残るそうです。センターコートとして使用されていたこともあるため、アーサー・アッシュに次ぐ好カードが組まれるそうです。

ちなみに、全米オープンのチケットの種類は、概ね下記の通りです。
◆Day Session
11時からのアーサー・アッシュ・スタジアムの試合を観戦できるチケットで、全席指定です。このチケットでルイ・アームストロング・スタジアムの一部の指定席を除き入場ができます。夕方6時以降のアーサー・アッシュ・スタジアムの入場はできませんが、6時以降も会場内のほかの試合を観戦することは可能です。
◆Day Session (Louis Armstrong)
ルイ・アームストロング・スタジアムの、一部指定席に入場できるチケットです。アーサー・アッシュ・スタジアムには入場できませんが、それ以外の試合は観戦可能です。
◆Evening Session
アーサー・アッシュ・スタジアムの夜の試合を見ることができる全席指定のチケットです。会場内には夕方6時以降にしか入れませんが、入場後はアーサー・アッシュ・スタジアム以外の試合も観戦できます。
◆Grounds Admission
アーサー・アッシュ・スタジアムとルイアーム・ストロング・スタジアムの一部指定席をのそき入場できるチケットです。

有名選手を近くに見ることができるのもグランドスラムの楽しみのひとつです!来年は小さなコート(といっても勿論かなり立派です)で、ひがなテニス観戦したいものです。



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お休みしていた間、コメントやメールを下さった皆様、お気遣いありがとうございました。それからお休み中も時々覗いてくださった方、ありがとうございます。日本から悲しい知らせが届き、なかなかPCに向かう気力がもてませんでした。いつもいつも100%の力で私を支えてくれた友でした。彼女のようにまっすぐ生きることはできませんが、彼女の生き方を、そして意志を、私の中でも育てて生きたいと思います。
by ny-cafe | 2005-09-01 04:57 | Let's go Manhattan