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アンディ・ウォーホール展
c0061496_1152316.jpgダウンタウンに行ったついでに、Allentown Art Museumで開催されている「アンディ・ウォーホール展」に行ってきました。

スーパーのレジや図書館、高速道路沿いの看板にも案内があったので秘かに楽しみにしていたのですが、規模が小さく、さほどウォーホールファンではない私にはいまいちよくわからない…というのが正直な感想ですが、それでもキャンベルのスープ缶やマリリンモンローをはじめ、CowやFlower、ほかにも有名どころの作品をいくつか展示していたようです。(よくわかってない…。)夏休み最終週ということもあり、この日もそこそこの賑わいを見せていました。

日本でも有名なアンディ・ウォーホール、実はペンシルバニアのピッツバーグ出身だそうです。ピッツバーグには彼の作品を集めたThe Andy Warhol Museumがあるそうで、今回の特別展はそこから作品を借りているようです。


c0061496_1154723.jpg同じペンシルバニア州内ですが、我が家からは6時間ほどかかるらしく、簡単に「行ってみよう!」とはなりませんが、ピッツバーグから1時間ほどのところにあるフランク・ロイド設計の落水荘にはいつか行きたいと思ってるので、そのとき一緒に美術館もまわってみようと画策してます。

右の写真はKids Roomに飾られていた紙のTシャツです。この部屋自体がうまくデコレーションされてて、ホンモノはもっとかわいかったです。

Tシャツの形だけ描かれた白い紙に子供たちがそれぞれが好きな絵を描き、はさみで切って洗濯物のように飾るというアイデアもナイスですが、隅っこにはちゃんと洗濯かごも用意されていて、その中に紙のTシャツが入っているのがたまらなくおかしかったです。ここの担当者のセンス、脱帽です。治安があまりよろしくないと言われるダウンタウンにあるため、なかなか行く機会がないのが残念です。


暇だったのでWikipedeiaでPA出身の有名人を調べてみたところ、シャロンストーンやリチャードギア、ケビンベーコンやウィルスミス、なんとグレースケリーの名前まで出てきてびっくりしました。PA出身というだけでなんだか親近感を持ってしまうのは、私だけでしょうか。今後は映画の見方が少し変わりそうです(笑)。さてさて、いよいよPEI旅行に出発です。また10日ほど日記の更新をお休みします。
by ny-cafe | 2006-08-29 08:03 | Pennsylvania!
秋の気配
今月の上旬、華氏100度という熱波に襲われたPAですが、ここ最近はすっかり秋めいた日が続いています。昨日今日は特にお天気が悪いせいもあるのですが、朝夕はうっかりTシャツに短パンで外に出ると寒くて震えます。日中もエアコンをかける機会が少なくなり、今日は雨が降ったので暖房が恋しいほど…。日が暮れるのも随分早くなり、玄関にも落ち葉が舞うようになりました。

日本でも夏が終わるのはなんだか寂しい気がしましたが、アメリカに来てからはその感が一層強くなりました。理由はいたって単純で、春と秋が極端に短く、夏は暑くて冬は激寒という気候のせいです。短い秋の先に待ってる、暗くて寒くて長~い冬を思うと、とにかく憂鬱になるのです。幸い去年は例年に比べて雪も少なく比較的暖かかったそうですが、それでも11月の中旬には初雪が降り、4月になるまでダウンジャケットが手放せませんでした。今年もできれば穏やかな冬であってほしいものです…。

そんなわけで「夏が終わる=冬がすぐそこ」というイメージがどうしても離れないのですが、いくら嫌だ嫌だと言ってみたところでもうすぐ夏はおしまい。「食欲の秋!」というのがここではほとんど味わえないのが悲しいところですが、いさぎよく秋の楽しみを見つけたいと思います。

全く話はかわりますが、今朝大家さんから電話がありました。夏の個展旅行から戻ってきたようで、早速私たち夫婦を自宅に招待してくれました。残念ながら土曜日から旦那が出張中なので少し先になりそうですが、今からとっても楽しみです。ちなみに明日は、自宅の庭で育てているトマトを持ってきてくれるそう。こちらも楽しみ♪でもその前に、大家さんにもらったのに一向に実をつけてくれないトマトを隠さなくちゃ…。
by ny-cafe | 2006-08-27 22:25 | 日々の出来事(in USA)
Josh Early Candis
c0061496_5583755.jpg今日は午前中から外出。目的は、遅ればせながら先日のLock Outの際にお世話になったみなさまへのお礼購入、などなど。まずは大きなモールをふらふらしたあと、先輩奥様から「結構おいしかったよ」と教えていただいた Josh Early Candisへ向かいました。

我が家から10分もかからずに行けるチョコレート屋さんですが、私はずっとステーキハウスだとばかり思ってました。先輩奥様のメールにも「レストラン風」とありましたが、名前を聞いてなかったら多分今日も通り過ごしていたでしょう。モールなどに入ってるわけではなく、道路沿いにどーんとこのお店だけがある感じで、建物も大きければ駐車場も結構広めで、全くもってチョコレート屋さんらしくないのです。

でも平日の昼だというのに駐車場には何台か車が止っていて、その後もお客さんが絶えなかったので、きっとこの辺りでは評判なのでしょうね。



c0061496_614874.jpg店内にはいったい何十種類あるんだ??と思うくらい色んなチョコレートがありました。量り売りしていたので、少しづつ色んな味が試せそうです。(箱詰めされたものもある。)今日はオレンジピールをミルクチョコレートでコーティングしたものを試食しましたが、なかなかでした。このほかにもナッツやキャンディをコーティングしたもの、トリュフやチョコレートファッジがありました。

ちなみに気になる値段は、左の9.5 ozのAssortment Boxはびっしり詰まって$8.95でした。高級感には若干欠ける気がしますが、沢山食べたい方にはおススメかも。我が家は今後、お土産やプレゼントなどお世話になること間違いなさそうです。


なお、私のお気に入りはチョコレートでコーティングしたプリッツェルンです。塩味とチョコレートの甘みが絶妙で、お友達の家でいただいて以来くせになりました。嬉しいことに Josh Early Candisには、ダークチョコ、ミルクチョコ、ホワイトチョコと3週類揃っていたので、そのうち試してみようと思います。

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by ny-cafe | 2006-08-22 05:54 | Pennsylvania!
Yuengling
アメリカのビールといってまず最初に思い浮かぶのは、Budweiser、Coors、Millerといったところでしょうか。私はビールが飲めないのでよく分かりませんが、ロングアイランドに住んでるときは我が家もよくBudweiserを買っていました。旦那的にはSamuel Adamsの方が好きだったようですが、お財布事情からBudweiserに軍配(笑)。正確なところは覚えていませんが、近くのスーパーで買っても1本50円とか、100円しなかったのでは…。「こりゃぁみんな飲むよね」と、旦那と妙に納得したものです。

そんなこだわりのない我が家のビール選びですが、PAに引越してからは専らYuenglingを買っています。我が家から車で1時間ほどのPottsvilleで作られてるPA産の地ビールで、日本の方にも比較的好まれるようです。

c0061496_23363628.jpgラインナップはYuenglingの代名詞とも言われるTraditional Lagerの他に、Premium、Light、Dark Brewed Porter、Ale、Black&Tan、Light Lagerがあるようです。ちなみにカロリーとアルコール度数は下記の通りです。
Lager 150カロリー 4.4%
Light Lager 99カロリー 3.4%
Black & Tan 155カロリー 4.7%
Premium 150カロリー 4.4%
Light 98カロリー 3.5%
Porter 160カロリー 4.7%
Ale 154カロリー 5.4%


YuenglingのHPによれば、ドイツから移民したDavid G.Yuenglingによって1829年に設立されたそうで、「America’s Oldest Brewery」なのだそうです。当初は「Eagle Brewery」という名前だったようですが、1873年に彼の息子であるFrederickがパートナーとして加わったことから「D.G. Yuengling and Son」に社名変更したそうです。(ちなみにトレードマークはビール樽を持つEagleです。)

その後Frank、RichardとDohrman、Richard Jrと代々Yuengling家の人々で引き継がれ、現在はDick Yuengling, Jrが経営者となっているようです。2004年の175周年を記念したステッカーだかポスターにも「Family Owned & Operating」とあったので、現在も家族経営で伝統を守っているのでしょう。


c0061496_0204524.jpgちなみに醸造所の見学もできるようで、Pottsville、Tampaともに1日2回、ツアーが行われているようです。ただし見学者は「Closed toed shoes only」ということで、サンダルはもちろんかかとやつま先、サイドも含めてとにかく「あき」のある靴は一切お断りのようです。ご注意ください。(甲の部分は良いのか??)

なお、HPによればYuenglingはドイツ語でYoung Manを意味するそうです。正しい発音は「Ying-Ling」だそうですが、私はいつも苦戦してます(涙)。そんな話を先日お若い駐在員の方にしたところ、「インリンで通じますよ~」とのこと。昨日はビールを買うついでに酒屋さんで試してみましたが、確かに1回で通じました。

…。
すみません、これが書きたかったんです(汗)。



連邦法や州ごとに異なる法律により、アメリカでは醸造会社はそれぞれ契約している卸業者以外へのビールの配送は禁じられているそうで、小売業者や顧客がビールを直接取り寄せることはできないそうです。Yuenglingの契約してる卸業者はPA、NY、NJ、DE、MD、DC、VA、NC、SC、FL、ALのみ。ということで、東海岸、特にPAにお越しの際はお試しあれ。


c0061496_1401870.gif追記:PAではお酒に対しての規制が厳しいらしく、酒屋さんなどでは基本的に24本単位でないと購入できないようです。理由についてはKazuさんのFun in Pennsylvaniaでご覧ください。
by ny-cafe | 2006-08-18 23:17 | Pennsylvania!
英語の電話で滅多打ち
今日は午前中、英語で滅多打ちされました。アメリカで生活してるとはいえ、日常生活はほぼ100%日本語。学校が夏休みのこの季節は、ただでさえない英語力が減退するばかり…。今日は勇気を絞って英語の電話をしてみました。


まずはカナダ旅行でお世話になるPEI Express Shuttleに電話。Halifax~PEIのバスの予約をお願いしましたが、ここ、問い合わせや予約のメールを何通も出したのに、一度も返信がありません。仕方がないので先日予約の電話を入れてみましたが、担当者は私の名前を聞くなりメールを開き、サクサクと予約をつくり、クレジットカードで確約してくれました。

この時点で「なんで返信しないんだよ!!」とムッとしましたが、ここはアメリカ(相手はカナダだけど)と思って我慢我慢。「Confirmationのメールを送ってね」と言って、電話を切りました。

それから5日、待てど暮らせどメールは届きません。こりゃ忘れられてるな…、と思って再度おととい「メールを送ってください」とメールしましたが、相変わらず返事はなし。待ってても埒が明かないので再度本日電話をしてみたところ、「この間クレジットカードの番号を聞き間違えたからもう一度教えて」という素晴らしいお答えが返ってきました。


はぁ???


先日の電話でクレジットカードの番号も伝えて、予約できたって言ったじゃん。


さすがに我慢も限界。

私 「じゃぁなんで何も連絡くれないわけ?」
担当者 「あなたのメールには電話番号がなかったから…。」


いやいや、電話番号は書いてないけどメールは何度も送ってるでしょ。
予約の電話したときも電話番号聞かれてないし、あなたも「メールする」って言ったよね。
私が電話しなかったら、この予約はどうなってたんだよ(怒)!!


なんて当然スムーズには伝えられなかったけど、とりあえず「今度こそちゃんとメールして」と伝えました。一応今日は自分から名前を伝えてきたので、明日くらいにはメールが届くことにうっすら期待してみます。ちなみにこれでも返信がない場合、「私はカナダ専門の旅行会社で働いてる」とか「旅行雑誌の仕事をしてる」と嘘でもついてみましょうかね。それくらいしないと返事が来ないような気がするのは、私だけでしょうか…。ちなみに4時間以上たった今もメールはなし。




お次に電話したのはこの秋からお世話になろうかどうか迷ってる、ESLのテストの予約。English as a Second Languageですからね、多少は相手もゆっくり&フレンドリーにしゃべってくれるなんて思ってた私がバカでした。担当者、鬼のような早さでほとんど聞き取れない上に、不機嫌オーラ出まくり。必死でNon-Creditの無料のクラスを取りたいと伝えたところ、とにかく学校に来てレジストレーションをしろとのこと。もう話すのも嫌なのでそそくさと電話を切りました。



キー!!!!!!!!!




そして極めつけはAAAとの電話。AAA(American Automobil Association)、日本のJAFのような組織です。会員証は全米どこでも使えますが、登録はエリアが決まっているようです。そんなことも知らず、先日からAAAの会員割引でレンタカーの予約をしようとしていた私。うまくいかないのは住所変更してないからか??と思い、この際住所変更の手続きをしてしまおうと思ったのがそもそもの間違いだったようです。

まずはAAA NYのサイトで見つけたQ&Aに従い、「住所変更の手続きをお願いします」とメールをしたところ、私が夫の家族会員であることを見つけたNYの担当者から、半日足らずで「あなたの夫もか?」という返信が届きました。

メールによれば現在持ってる2008年まで有効のAAA NYの会員証を、来月まで有効に変更するので、そのあとは私が住んでるエリアを担当するAAA Penn Eastの会員になるようにとありました。そして親切に「inter-club renewalだからメンバーシップはそのままキャリーオーバーされ年会費の追加もないが、この手続きはオンラインではできないのでAAA Penn Eastに連絡するように」と電話番号入りで教えてくれました。

早速AAA NYの担当者に「夫も引っ越しました」と返信し、指定されたAAA Penn Eastに電話したところ、ESLと負けず劣らず感じの悪いお兄さんが「それはNYの仕事だ」とのお返事が…。私が何度も聞き返したせいもあるのですが、「とにかくAAA NYに連絡しろ」の一点張り。最後は電話の向こうで鼻で笑ってました。


c0061496_3181627.gifムカつく~!!!!!!!!!!


AAA、このままたらいまわしにされるのでしょうね…。私はさほどアメリカ暮らしに苦労は感じてませんが、それでもこういうとき、日本人の仕事ぶりはすごいなぁと思います。


こういうたらいまわしや担当者によって言うことがざまざまというのは、渡米して以来何度となく体験してますが、今までお世話になったLong IslandのESLやキルトの先生、ご近所さん、それにPAだって大家さんや管理人さん、図書館のお姉さんをはじめ親切な人が多かったので、今日は後味の悪い電話に軽く凹みました。でも悔しいので、少しだけ英語勉強しようと思いました。思っただけですが…。


追記:夕方PEI Express Shuttleから無事メールが届きました。午後からESLのレジストレーションもしてきましたが、どうやら私が電話したのはESL専用の受付ではなかったようで、担当者はきちんと対応してくれました。残るはAAAのみ!

追記その2:翌日AAA Penn Eastのオフィスに出かけたところ、就業直前だったにも関わらず、カウンターの女性が親切に対応してくれ、今後の手続きについても色々うかがうことができました。AAA Penn East、ちょっと好きになりそうです(笑)。
by ny-cafe | 2006-08-18 01:24 | アメリカ生活
夏の風物詩
日本はちょうどお盆の時期ですね。TVに映し出される高速道路の長い長い車の列は、ある意味夏の風物詩のひとつですが、アメリカの高速道路でも夏らしい光景を見ることができます。

自転車を積んで走る車に、大量の荷物を積んで走る車…。c0061496_0232796.jpgc0061496_0234630.jpg

クルーザーを引っ張る車に、キャンピングカーを引っ張る車…。
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c0061496_0243150.jpg左は少々分かりにくいのですが、ボートを積んだMy Carを引っ張るキャンピングカーです。

我が家のまわりでも、キャンピングカーをレンタルしてるお店を見かけます。レンタルには特別なライセンスは必要ないそうで、私でも運転できるそう。女性が運転してる光景も時々見かけます。

…。

絶対真似しませんけどね…。
by ny-cafe | 2006-08-15 00:24 | アメリカ生活
Hancock Shaker Village
c0061496_10555150.jpg旅行の話の続きです。日曜日は時間があったので、Hancock Shaker Villageに寄りました。ここは1783~1960年まで、実際にシェーカー教徒たちが生活していた場所で、アメリカにある19の代表的なシェーカーコミニュティの中で3番目に古いのだそうです。

18世紀の中ごろ、イギリスのマンチェスターで創設されたシェーカー教は、礼拝中に信者が震え、ぐるぐる回り、揺れる(Shake)ことからこの名前が付けられたそうです。

千年至福説(キリスト教の終末思想のひとつ、カトリック、東方正教会、プロテスタント等の伝統宗派はこの教義を公式に否定している)を信奉する彼らは、キリストの再来は彼らの指導者であるマザー・アン・リー(Mother Ann Lee)によって実現されたと信じ、迫害を受けながらも熱心に信者を集めたそうです。


t-mitsunoさんのブログ、t-mitsuno's blogによれば、教祖とされるマザー・アン・リーはもともとシェイキング・クエーカーズという、ラディカルなクエーカー分派の信者だったそうです。しかししばしば踊りと大声によって安息日を破り(直訳するとこうなるが意味のある行為と思われる…汗)、神を冒涜するとして投獄されたそうです。そしてマンチェスターでの14日間にわたる投獄生活の中でシェーカー教を開く啓示を受けた彼女は、その後信仰の自由を求めてアメリカに渡ることを決意し、1774年8月6日、8人の仲間とともにニューヨークに入港。1776年、NY州のAlbanyに近いWatervlietに土地を得て、共同生活と布教活動を始めたそうです。

その後1781~1783年にかけて、彼女はニューヨーク、マサチューセッツ、コネチカットに布教の旅に出かけ、翌1784年、Watervlietで永眠します。しかしその後も彼女の意志を継いだ指導者によって教義は維持され、ニューイングランド地方、ニューヨーク州、ケンタッキー州、オハイオ州、インディアナ州などでコミニュティが創設され、俗世から離れ、自給自足の生活を続けたそうです。シェーカー教は1830~1850年には6,000人もの信者を抱えるまでに成長し、最盛期にはコミュニティ内で大規模な農場を経営するなどして成功していたそうですが、産業革命などで次第に衰退し、現在はメイン州Sabbathday Lakeにわずかな信者を残すだけとなったそうです。

禁欲、生活共同、懺悔、男女平等、平和主義などを基本原理としたシェーカー教では、コミニュティ内の結婚も禁じられていたようです。またそこで生活する人々は質素で、労働によって高い精神性を保てると信じていたそうです。そして言葉ですら装飾することを嫌った彼らは、全てにおいて簡素であることを重んじ、無駄がなくシンプルで美しいシェーカー家具や工芸品を生み出したのだそうです。

私たちが訪れたHancock Shaker Villageは、1783年、シェーカー教への改宗者が寄付した土地に創設されたそうで、コミニュティの人口は1830年代に最も多く、6つの共同体に300人以上が住んでいたそうです。

◆煉瓦住居
c0061496_515527.jpg左はコミニュティの中心的な建物、煉瓦住居です。ここで100人ほどの信者が、集団生活を営んでいたようです。1階には食堂と集会場があり、上の階が居住スペースとなっていたようです。地下にはキッチンがありました。

内部は真ん中の廊下を境にして左右が対称になっていて、男女が別れて生活をしていたそうです。左下の写真は集会場の入り口ですが、真ん中に柱があり、ここでも男女は左右分かれてドアをくぐったそうです。
c0061496_6244493.jpgまたシェーカー教徒はものを壁に掛ける習慣があったようで、館内にはいたるところにフックが設けられ、ほうきや帽子だけでなく、使わない椅子までも吊るされていました。

シンプルで質素な生活を求めたシェーカー教徒ですが、この建物は木のぬくもりと美しいシェーカー家具が独特の雰囲気を作り出し、とても居心地がよかったです。ちなみにこの美しいシェイカー家具を作ることに魅かれ、シェーカー教に改宗する木工職人もいたそうです。
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◆丸石納屋
c0061496_10405991.jpg名前の通り、石で造られた円形の家畜小屋です。ここでは52頭の乳牛を飼育することができたそうですす。牛をつなぐためのリングですら、美しくデザインされていたのに驚きました。

藁を積んだ荷馬車は2階のドアから直接納屋に入ることができ、そこから藁を1階に下ろして央部分の乾燥棚に積み、外側に円形につながれた牛に効率よくえさをやるつくりになっていたようです。ちなみにフンは床に設けられた落としドアから地下に落とされ、肥料用に保存されたそうです。

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◆洗濯場/機械加工所
c0061496_874913.jpgc0061496_88363.jpgこの日は機械加工所で、木工用の機械を動かすデモンストレーションをしていました。近くの池から引き込んだ水を、建物の地下に毎秒8ガロン流すことにより、動力を生み出していたようです。上射式水車から後にタービンに代わったそうで、動力を伝える回転ベルトがあちこちにありました。


◆その他c0061496_1152154.jpg
Village内にはこのほか、兄弟団作業所、姉妹団の乳製品・織物作業所、学校、礼拝堂などの建物があります。オリジナルの建物は、コミニュティの最後の10年間に信徒によって壊されてしまったため、修復・改造されたり、他のコミニュティから移築したものも多いようです。

左は教室の様子。男女分離の教義に基づき、男子生徒は冬、女子生徒は夏に通ったそうです。机の上が開くようになり、中にものを入れられるようになっていました。
c0061496_873554.jpg左は代表的なシェイカーの木工品、オーバルボックス(楕円形木箱)です。装飾を嫌い、極限までシンプルさを追求したシェイカー教徒ですが、「手は労働に、心は神に」というシェーカーの教えにふさわしく、サイドのあわせ部分のデザインが祈りを捧げる時の手の形になっているそうです。

様々な大きさのものがありましたが、お値段は少々お高め…。そのため買うのを断念しましたが、少し無理をしてでも買ってくればよかったと、本気で後悔しています。
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c0061496_1149989.jpgなお、Village内には、カフェをはじめ、あちこちにシェーカースタイルの家具がありましたが、椅子は軽い上に座り心地も良く、シェーカー教徒はほとんどいなくなった今でも、木工家具メーカーで作り続けられているも納得です。

ちなみに、NYのメトロポリタン美術館でもシェーカー家具が展示されてるそうです。今までアメリカWingは興味がなかったためほとんど行ったことがありませんでしたが、次回はのぞいてみようと思います。


c0061496_12122536.jpgということで、すっかり長くなりましたが最後にアクセス等について。Hancock Shaker Villageはマサチューセッツ州Pittsfieldの、Rt-20とRt-41の交差する辺りにあります。HPには住所の記載が「Route 20, Pittsfield, MA 01202」としかなく、地図もリンクされていなかったので出発前は心配しましたが、実際に行ってみたらすぐに分かりました。AAAメンバーは若干ディスカウントがあるので、入り口でカードを提示してみてください。

なお、今回私たちが泊まったのはVacation Village at Berkshiresというホテルです。音楽祭の会場からは少し離れますが、キッチンやジャグジーのついた長期滞在者向けのホテルで、1泊で帰るにはもったいない感じでした。ちなみに料金は$150ほど、音楽祭期間中は周辺のホテルが混雑し、値段も高くなるのでおススメです。


追記:時間の都合でランチはVillage内のCafeでとりましたが、ここは下手なお店に入るよりおいしくておすすめです。サンドイッチ類は色々パンが選べ、普通サイズとハーフサイズが用意されてるのも嬉しい限りです。
by ny-cafe | 2006-08-10 03:02 | Travel☆Travel
Lock Out!!!
今日も週末に出かけた旅行の話…。を書いていましたが、途中まで書き終えたところで明日が週に1度のゴミの日だったこを思い出し、家中からゴミを集めてガレージへ向かい、リサイクルゴミと可燃ゴミをそれぞれのボックスに入れ、ついでにガレージが汚れていたのでほうきで掃き掃除なんかし、家の中へ入ろうと思ったら見事に自分が締め出されていることに気がつきました。



……。


こういう日に限って旦那は泊まりで出張だったりする。


鬼汗…。





すぐ近くにこの辺りを開発・販売・管理してる不動産会社の事務所はありますが、さすがに夕方7時じゃね…。

と思いつつ、他に手段もないので管理事務所に行ってみる…。



誰もいない…。





どうするさ~。



幸い我が家のすぐ先に日本人の方が住んでるけど、あまりにひどい私の服装…。





どうするさ~。






とりあえず家まで戻ろうと、もと来た道を歩き始めたところ神の声あり。


「なんかあったの??」


この辺りは新興の住宅地で、ここ数年の間にデュープレックスやらタウンハウスあわせて350世帯分くらいの家が建つ予定で(まだ1/5くらいしか完成していない)、管理事務所とは別にモデルハウスがあります。ラッキーなことに、たまたま今日はサッカーをしている息子さんを7時半頃ピックアップするため、モデルハウスで時間調整していた営業系のおじさんが、管理事務所をのぞく怪しげな私を見つけて声をかけてくれたのでした。

とりあえずインチキな英語で「私はここの住人で、ゴミ出ししようとしたらガレージのドアが閉まってしまい、運の悪いことに旦那は泊まりで出張で今日は帰ってこない」と説明し、凹んだ声で聞いてみました。

「かぎ、持ってませんこと??」




残念ながらすでに販売された物件は、管理事務所にもスペアの鍵はないそうですが、いつもお世話になってる管理系のおじさんに電話をしてくれ、彼から大家さんに連絡してくれるとのことです。

大家さん、夏の間中マレーシアとか行っちゃってるんですけどね…。




とりあえず電話を待つこと数分…。



「10分後に鍵のエキスパートがやってくるから大丈夫だよ」
大家さんはつかまらなかったようですが、代わりに他の人が来てくれる事になったようです。



つたない英語でお礼を言い、そのままモデルルームで話をしながら待ってると、きっかり10分後にハーレーがやってきました。どうやら管理会社のロゴ入りのポロシャツを着たお兄さんが、鍵のエキスパートらしい。


とりあえず営業系のおじさんからハーレーのお兄さんに事情を説明してもらい、歩いて家まで行こうとすると、お兄ちゃんがバイクに乗れと言ってきます。


スカートなんですけどね、あたしゃ。
と思いつつ、ハーレーなど2度と乗る機会はないので後ろに乗り、わずか10秒ほどで家の前に到着。


ここからの流れはセキュリティ上書きませんが、あっという間に鍵は開き、無事に家に入れたのを確認してお兄さんは帰っていきました。


ありがとう…。
ホントにありがとう!!!
そのまま鍵が閉まらなくなったのは計算外だったけど、とにかく家に入れてよかったよぉ~。


ということで、再びPCに向かった私でしたが、ネットの接続が切れていたのに気づかず色々したら、書きかけの文章が全部消えました。


ついてない日は何をやってもついてない…。
今日は日本のビデオでも見ながらさっさと寝ようと思います。
by ny-cafe | 2006-08-09 08:53 | 日々の出来事(in USA)
タングルウッド音楽祭
c0061496_412174.jpgロックウェルの世界にふれたあとは、今回の旅行のメイン、タングルウッド音楽祭(Tanglewood Music Festival)へ向かいました。

ボストン交響楽団のHPによれば、この音楽祭の歴史は1934年8月に始まったようです。この年、マサチューセッツ州バークシャー地方に住む音楽愛好家が、NYフィルのメンバーを招いて3度の屋外コンサートをInterlakenで開催したのが最初のきっかけだそうです。このコンサートは大変好評だったようで、翌年夏に「the Berkshire Symphonic Festival」という名前にかえて、再びコンサートが行われました。

その後フェスティバルの組織委員会がボストン交響楽団と当時の常任指揮者Serge Koussevitzky氏を音楽祭に招き、Holmwoodにあるバンダービルト氏の敷地に設けられた巨大なテントの下で、1936年8月13日ボストン交響楽団はコンサートを行ったそうです。

Holmwoodで行われた3度のコンサートには1万5千もの人が集まったそうで、この話を聞いたタッパン夫妻は1936年の冬、タングルウッドにある210エイカーにも及ぶ自分たちの敷地をKoussevitzky氏とボストン交響楽団に寄付することを決めました。そして次の夏、1937年8月5日にタングルウッドに場所を移してコンサートが開催され、夏の風物詩として現在に至るということです。

ちなみに最初のプログラムは、ベートーベンだったそうです。なぜベートーベンだったのか…。ボストン交響楽団とベートーベンの関係について知りたい方は、ノーマンロックウェルの日記でも参考にさせていただいたポッキーのボストン案内を参照してください。

タングルウッドでコンサートの開かれた最初の年は、音楽ホールはなく、コンサートは大きなテントの下で開催されていたそうです。ところが2週目のある日、雨と雷に襲われ、コンサートを2度も中断するというハプニングに見舞われます。この日はワーグナーのジークフリードが演奏されていましたが、土砂降りの雨のため演奏を聴くのが困難になり、「Forest Murmurs」を省略せざるをえなかったそうです。

このことから音楽祭の女性設立者のひとり、Gertrude Robinson Smith氏がコンサートホールの建設を訴え、中心となって寄付を集めたそうです。こうしてKoussevitzky氏の依頼を受けたEliel Saarinen氏が新たなホールの設計をしますが、最初の設計図は$100,000の予算を上回ってしまい、彼の2度目のプランでも予算内に納めることができなかったようです。Saarinen氏は「どうしても予算内で収めるのであればただの小屋にしかならず、それであれば建築家の助けなどなくともできる」と言った(書いた?)そうで、これを受けた担当者は早速Stockbridgeに戻り、Saarinen氏の設計図をもとにしたシンプルな建物を完成させたのだそうです。この建物が現在のThe Serge Koussevitzky Music Shedで、1938年8月4日の杮落とし以来、1942-45年の戦争時を除いて毎年コンサートが行われているそうです。

c0061496_7101622.jpgこのホールにKoussevitzky氏の名前が付けられたのは、ホールの完成から50年後の1988年のこと。 彼の功績をたたえ、この名が付けられたとのことです。

ちなみにShedはステージ後方に壁があるだけで、あとは3面が吹き抜けとなっています。ホール内に5121の客席がありますが、ホールの後方の芝生席も人気があり、夕焼けや星空を眺めながら音楽を聴くのもタングルウッドの楽しみのひとつのようです。


下の写真は正しいタングルウッドの楽しみ方(笑)。皆さん芝生に折りたたみの椅子やテーブル、パラソルだけでなく、テーブルクロスやお花、キャンドルまで持参して、優雅なピクニックを楽しんでいました。ちなみに我が家もコンサート直前まで芝生にレジャーシートを広げて、PAから持参したサンドイッチ(ユウさんありがとう!)やドリンクでピクニックを楽しみました。
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ということですっかり前置きが長くなりましたが、肝心のコンサートですが、指揮者の小澤征爾さんが白いタキシード姿で舞台に入ると、ホール内からは大きな拍手が沸きあがり、しばらく続きました。指揮者が入場しただけで、あれほど大きな拍手が沸きあがるのもなのでしょうか…。改めて、小澤征爾さんの人気振りを知りました。

この日のプログラムはマーラーの交響曲第2番ハ短調。この曲は「復活」(Auferstehung, アウフェルシュテーウング)という標題が付されるのが一般的なのだそうですが、マーラー自身が標題を正式に用いたことはないそうです。Wikipediaによれば、この曲は「1888年から1894年にかけて作曲されたもので、オルガンや舞台外の楽隊を含む大編成の管弦楽に加え、第4楽章と第5楽章に声楽を導入しており、立体的かつスペクタクル的な効果を発揮する。このため、純粋に演奏上の指示とは別に、別働隊の配置場所や独唱者をいつの時点でステージに招き入れるか、合唱隊をいつ起立させるかなどの演出的な要素についても指揮者の考え方が問われる」とのことです。

この曲は7回目を迎えた今年の「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」でも演奏されたそうで、コントラルトのNathalie Stutzmanは今回のタングルウッドでも起用されました。ちなみにこの日のソプラノはHeidi Grant Muppy、オーケストラの後ろには150人はいるのではないかと思われるTanglewood Festival Chorusが参加していましたが、オーケストラの迫力に負けない大型合唱団ならではの迫力、圧巻でした。

昨年9月に古希を迎えた小澤征爾さん、1月からは体調を崩し、今シーズンの全ての公演を降板して休養していたそうですが、この日は迫力ある指揮で会場中を魅了していました。クラシックなどほとんど分からない私ですが、この日の演奏も素晴らしいものだったと思います。その証拠に、演奏が終わると会場中から惜しみない拍手が送られ、小澤さんは何度も何度もステージに戻ってきて挨拶してくれました。小走りにステージに戻る小澤さんに、もちろん私もずっと拍手を送り続けました。コンサートの様子は早速7日付けのBoston Heraldで取り上げられ、小澤征爾さんのファンサイトDeer Seiji Ozawaで記事が紹介されていますが、私も小澤征爾さんは音楽のために生まれた人、そしてボストニアンに愛された人だなぁと思いました。


c0061496_894556.jpg左は1994年7月に完成した「Seiji Ozawa Hall」です。レンガ造りの外観と木をふんだんに使った室内の調和が、タングルウッドの自然に見事に溶け込んでいます。ホール後方の扉が開くようになっていて、この日も芝生に座ったり、寝転んだりしながら、思い思いに音楽を楽しんでいる人がいました。このホールに小澤さんの名前が付けられた由来は、前出のポッキーのボストン案内でどうぞ。

2002年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任するまでの約30年間をボストン交響楽団の音楽監督として過ごし、毎年夏にはタングルウッドで若手の育成やコンサートに尽力してきた小澤さんですが、 実は彼自身も24歳の夏、シャルル・ミュンシュによってここに招かれて指揮法を学び、最も優秀な学生指揮者に贈られるKoussevitzky賞を獲得したそうです。小澤さん自身もこのバークシャーの大自然とタングルウッドを愛しているそうで、彼を愛するボストニアンとの双方の思いが、この日のコンサートでは現れたように思います。
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なお、この日は3時半頃に会場に到着しましたが、メインゲートには気の早い日本人の方々が並び始めていました。皆さん小澤征爾さんをお目当てに来られたのでしょうが(もちろん私もそのひとり)、あまりの日本の方の多さにびっくりしました。5時半までゲートが開かないとのことだったので、我が家は木陰にレジャーシートを広げてゴロゴロして過ごしましたが、5時20分、予定より10分ほど早くゲートがオープンしたので私たちもメインゲートの100メートルほど左にある小さなゲートから会場に入りました。ここは並ぶ人も少ない上に、Shedに一番近い入り口となるのでおススメです。

ちなみに今回私たちが手配したのは、芝生席(Lown)ではなくShedの中の席です。実は旦那が出張になるかもしれず1週間前にホテルとチケットを手配しましたが、直前のためチケットがディスカウントされていて、通常$27~39のShedのチケットが$20になっていました。芝生席が$17なのでこれはお得!ということで、座席のチケットを購入しました。私たちの座ったエリアはSection17のJ列と後ろの方でしたが、小さいながらにも生で小澤征爾さんの指揮を見ることができました。(ただしホールの真ん中より後ろは柱が少し邪魔になる。)

なお、タングルウッドはマサチューセッツ州とニューヨーク州の州境、バークシャー地方にある避暑地で、この日は3時半くらいでも外の空気はすがすがしくて気持ちが良かったです。旦那はゲートが開くまで芝生に広げたシートの上で転寝していましたが、少し肌寒かったそうです。夜のコンサートは冷えるので、防寒対策をお忘れなく。

またこのコンサートは多くのボランティアに支えられて運営されているそうで、当日は「ようこそタングルウッドへ」とか「楽しい夜を」と声をかけられたのが印象的でした。ただし車(もしくはツアーバス)でしかアクセスできないため、帰りはメインゲートのあるRt-182は非常に混みあい、駐車場を出るのが大変でした。この日はメインゲートからRt-182を右折して、Pittsfieldに抜けましたが、メインゲートから先は右折車のみの一方通行になっていました。ご注意ください。


ということですっかり長くなりましたが、タングルウッド音楽祭、とにかく行ってよかったです。今年は7月30日に五嶋みどりさんが出演しほか、私たちが行った先日にはYo-Yo MAが出演したそうで、小澤征爾さん以外にも毎年楽しみなプログラムが用意されてるようです。我が家からだと遠くて少し大変ですが、来年もSaratoga競馬場と絡めて旦那を説得してみようと思います♪
by ny-cafe | 2006-08-08 12:15 | Travel☆Travel
ノーマン・ロックウェル美術館
8/5~6の週末は、タングルウッド音楽祭に行くため1泊2日のドライブ旅行に出かけてきました。昨年も行ってみたかったこの音楽祭、今年は8月5日の1日だけ小澤征爾さんが指揮をするこということでどうしても行きたかったのです。

PAの我が家からだとニュージャージーとニューヨークを越えるため、走行距離は片道およそ 240マイル。久々のロングドライブとなりましたが、夏の思い出がひとつできました。早速旅行記をアップします。

c0061496_333654.jpg8/5(土)
09:20 出発
13:00 ノーマンロックウェル美術館見学
15:30 音楽祭会場到着
17:20 ゲートオープン
20:30 演奏開始
22:00 演奏終了
23:00 ホテル着

8/6(日)
09:30 ホテルチェックアウト
10:00 シェイカービレッジ見学
14:00 シェイカービレッジ発
18:00 PA到着


ノーマンロックウェル美術館
コンサートは夜からだったため、コンサート会場からも程近いノーマンロックウェル美術館に寄り道しました。日本でもおなじみのノーマン・ロックウェルは、1894年2月3日、上流階級の子供としてNY市で誕生します。両親を画家に持つロックウェルは、幼い頃からイラストレーターになることを夢見たそうで、14歳の時The New York School of ArtのArtクラスに入学します。

しかし2年後の1910年には、NYのThe National Academy of Designで絵の勉強をするため15歳で高校を中退、アルバイトを重ねながらThe Art Students Leagueでトーマス・フォガーティやジョージ・フリッジマンに師事し、勉強を重ねたそうです。中でもジョージ・ブリッジマンに学んだ正確で緻密な描写をするテクニックは、後に彼の作品の大切な要素となったそうです。

ロックウェルは若くして成功した芸術家のひとりで、16歳になる前に描いた4枚のクリスマスカードのための作品が、最初の仕事だったそうです。その後10代のうちにボーイスカウトの機関紙「Boy's Life」のアートディレクターを任され、子供向けの出版物のためにさまざまな作品を描きながらフリーのイラストレーターとして活躍したそうで、21歳のときには成功したイラストレーターが多く集まるNY州のNew Rochelleに漫画家クライド・フォーサイスと共同でアトリエを構え、有力紙を含む雑誌のために作品を描いたそうです。

そして翌年1916年には、22歳にして初めて雑誌「The Saturday Evening Post」の表紙絵を描いたそうですが、当時この雑誌の表紙を手がけることはイラストレーターとしての頂点を極めたことを意味したそうで、これから47年間、ロックウェルは322点の作品を同誌の表紙のために制作したそうです。

c0061496_3164336.jpgDonnaさんのHP、Over The Horizon!ノーマンロックウェルのページによれば、「22歳から描き始められたロックウェルの作品のおかげで「The Saturday Evening Post」は廃刊を免れたと言われるそうで、またこの表紙の仕事を始めてからさらにひっぱりだこの人気者となったロックウェル自身も、自らを起用してくれたことを感謝し、他誌から高額の依頼があった時もこの仕事を手放すことはしなかった」とのことです。


プライベートではこの年、アイリーン・オコナーと結婚します。彼女のとの結婚生活は1930年に終わりを向かえますが、同じ年の終わりにメアリー・パーストゥと再婚し、ジャーヴィズ、トーマス、ピーターの3人の息子をもうけます。メアリー・パーストゥとの結婚生活を送っていた1930~1940年代はロックウェルの経歴の中で最も輝かしい時代とも言われるそうですが、1939年にヴァーモント州のArlingtonに居を移たロックウェルは、より田舎的なアメリカ社会を反映した作品を描くようになったそうです。またこの頃から第二次世界大戦をテーマにした作品に取り組んだようで、1943年にはフランクリン・ルーズベルト大統領による議会講演「四つの自由」を基にし、「Freedom of Speech(言論の自由)」、「Freedom to Worship(信仰の自由)」、「Freedom from Want(生活する自由)」、「Freedom from Fear(平和への自由)」という作品からなる「The Four Freedoms」という連作を発表しました。

これらの作品は「The Saturday Evening Post」に当時の著名人のエッセイとともに掲載されて大変な人気となり、ポスト誌と米国財務省の後援により16都市で巡回展が開催されたそうです。このとき各展示開催都市では戦時国債が販売されたそうで、1億3000万ドル(当時のレートで約468億円)もの戦争資金を集めるのに貢献したそうです。

ただし1943年は不幸な出来事もあったようで、煙草の火から出火した火災でArlingtonのスタジオを全焼させてしまい、作品の多くを焼失してしまったそうです。Wikipwdeiaによれば、「彼は2000を超える作品を描いたそうですが、火災で多くを焼失し、残った作品のほとんどが美術館の恒久的所蔵品となっているそうです。また彼のイラストを使った雑誌で完全な状態で残っているものも極めて少ないため、発見されると数千ドルの値が付く」そうです。

c0061496_2161957.jpg1953年になると、一家はマサチューセッツ州Stockbridgeに引越しします。しかし6年後に妻のメアリーが永眠。彼は息子トーマスの協力のもと、自伝「イラストレーターとしての私の冒険」を執筆し、亡き妻に捧げたそうです。「The Saturday Evening Post」はこの本からかなりの部分を抜粋して連載記事として掲載したそうで、左のTriple Self-Portraitが表紙に使われた刊は、8度も重版されたそうです。

ちなみにあまりにも有名な左の作品ですが、トリプルとは、鏡をのぞいている後姿のロックウェル、鏡に写っているロックウェル、キャンバスに描かれたロックウェルのことで、キャンバスに描かれている自画像が、鏡に映る実物より若くハンサムに描かれているところがユーモラスです。ロックウェルはこの自画像のように、実際にもパイプをくわえ、そしてコップに入れたコーク(常にコップにうつしたそう)を横に置いて製作したそうです。

c0061496_2163939.jpgまた彼の右足元には煙の上がるバケツがありますが、ポッキーさんのHP、ポッキーのボストン案内によれば、「彼はこの絵のようにパイプの吸い殻を無造作にバケツの中に捨てていた」ようで、43年の火災もこの火がもととなったとのことです。

なお、左はHPから拝借したアトリエの写真。キャンバスの上には自画像で描かれた金のヘルメットも飾られていて、係りの方によればアンティークを集める趣味のあったロックウェルですが、これはどこかのお土産やさんで買ったものとのことです。


1961年になると、ロックウェルはメアリー・パンダーソンと3度目の結婚をします。そして2年後の1963年には「The Saturday Evening Post」から「Look」誌に移り、その後10年にわたって表紙絵などを描いたそうです。「The Saturday Evening Post」との仕事を終わりにした理由としては、「The Saturday Evening Postが休刊になったため」とか、「経営危機に陥ったPostが編集者の入れ替えをしたため」とありましたが、どれが正しいのかは私には分かりません。

いずれにしてもロックウェルは「Look」との仕事で人種問題や貧困の絶滅、宇宙空間への進出など自らが深く関心を寄せていた作品を数多く残したそうで、後期の代表作 「The Problem We All Live With」も、「Look」誌に掲載されたようです。

c0061496_2391448.jpgWikipediaによれば、「The Problem We All Live With」は、「ニガー」という人種差別的な悪戯書きがされ、トマトが投げつけられた壁の前を、警察に守られながら通学する幼い黒人少女の姿(公民権運動の成果により、白人と同じ学校に通うことになった場面)を描いた作品」で、以前ESLの先生が「アメリカでは有名な作品」と言って見せてくれました。その時にはロックウェルの作品だと知らなかったので、今回美術館で見てびっくりしました。館内にはこの少女と兄が、白人たちの住むエリアに引越ししてきた日を描いた作品も飾られていました。


1973年になると、彼は自分の作品を保護するため、コレクションの保存組織を設立し、Stockbridgeのダウンタウンにあったオールド・コーナー・ハウス(美術館の前身)に作品管理を任せます。そして1976年になると健康を害したことをきっかけに、ダウンタウンにあったアトリエと、その中にあった作品、画材、作品制作のための記録資料や私物など、全てを美術館に委託したそうです。

そして1977年には、フォード大統領よりアメリカ国民として最高の栄誉である大統領自由勲章「メダル・オブ・フリーダム」を受賞。翌1978年11月8日、マサチューセッツ州ストックブリッジにて84歳で永眠したということです。


c0061496_2205617.jpgここからは館内にあった有名な作品について…。

左の「The Runaway」はあまりに有名でしょう。実はこの作品、同じタイトルで2度描かれていて、美術館には2枚並べて展示されています。最初に描いた作品は、背景のカウンターがごちゃごちゃしていたのと、カウンターの中の人物が警察官と年齢が近いのが気に入らなかったそうで、新たにJoe's Dinerに舞台を移して描き直したそうです。

Leeの町には今でもこのDinerがあるそうで、同じ日にタングルウッドを訪れたお友達は、ここでランチしてきたそうです。我が家は事前のチェックが甘かったため訪れることができず…。ロックウェル一家が住んだStockbridgeのダウンタウンにも行けなかったので、次回はリベンジしたいと思います。

ちなみに絵のモデルは当時31歳でマサチューセッツ州の警官だったボブ(ロックウェルの3軒隣に住んでいた)と、当時7歳でStockbridgeの小学生だったエド。ボブはロックウェルから警官役で絵のモデルになって欲しいと電話で頼まれたそうで、エドは学校のランチタイムに、絵のモデルを探していたロックウェルによって選ばれたようです。当時ロックウェルはStockbridgeの小学校によく行っていたようです。ちなみに美術館で説明してくれたおばあちゃまによると、この秋、美術館のイベントでボブとエドが再会するとのことです。


c0061496_2514156.jpg左は1954年9月25日発行の「The Saturday Evening Post」の表紙として描かれた「Breaking Home Ties(息子の旅立ち)」。オリジナルはロックウェルの友人でイラストレーターのドン・トラクティ氏が所有し、長いこと自宅に飾っていたそうです。

トラクティ氏の家に飾られていた絵については、専門家の間で少年の表情や色合いが違うことが指摘されていたそうですが、保存状態が悪いためと理解されていたそうです。しかし2005年にトラクティ氏がなくなり、今年3月にトラクティ氏の息子が絵がかけられた壁の裏に隠された本物を発見。現在はオリジナル、複製ともにノーマン・ロックウェル博物館に展示され、先日絵のモデルになったRobert Waldrop氏も、美術館を訪れたそうです。



c0061496_2545943.jpg左は「The Golden Rule(黄金律)」。Golden Ruleとは、多くの宗教、道徳や哲学で見出される「他人にしてもらいたいと思うように行為せよ」という考え方だそうです。この絵は1961年に発表されたもので、絵の一番右後方に、亡くなった妻のメアリー・パーストゥと、同じく幼くして亡くなった彼の甥(姪?)が描かれているそうです。

なお、国連のHPによれば、「ロックウェルは黄金律が世界中の主な宗教すべてに共通なテーマであることを訴えたいと、尊厳と尊敬を込めてすべての民族、信教、人種を描いた」そうで、国連創立40年を記念し、1985年に当時の大統領夫人であったナンシー・レーガンがこの絵を基にして作成されたモザイクを寄贈したそうです。オリジナルの絵にもモザイクにも、「おのれの欲するところを人に施せ」の銘が刻まれています。



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c0061496_3573155.jpgc0061496_3571990.jpg写真は美術館の風景。現在の場所に美術館が移転したのは1994年のこと。Housatonic River Valleyを見渡す36エイカーの土地に、白い美術館(左上)と赤いアトリエ(右上)がたたずんでいます。 (ロックウェルは赤が好きだったらしい。)

左の2枚は敷地内の案内板。どの絵から切り取ったか分かりますか??



なお、ロックウェルについては、色々な方が色々な視点から作品紹介などの文章を書いていて興味深いです。良かったら下記のサイトものぞいてみてください。
Over The Horizon!:ロックウェル以外にも偉大な画家の特集あり。
ノーマン・ロックウェルWEB美術館:作風について知りたい方必見。
ポッキーのボストン案内:作品紹介は一読すべし。またボストン旅行者は必読!
Jury Room:オリジナルのシャドーボックスも必見。
夢見る少女:とにかくたくさんロックウェルの作品を見たいという方におススメ。
by ny-cafe | 2006-08-07 11:36 | Travel☆Travel