m's New York cafe
nycafe.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
オイスター・フェスティバル
ダラダラとドイツ旅行記を書いているうちに、ロングアイランドはすっかり寒くなりました。まだまだコートを着る必要はありませんが、朝夕は冷え込むことも多く、10月だというのに暖房が欠かせません。冬眠に備えているのか、裏庭には毎日リスがやってきて木の実を拾ってます。そろそろ私も冬ごもりの準備が必要なようです…。

さてさて、土曜日はOyster Festivalへ行ってきました。我が家から車で20分ほどのOyster Bayで毎年開かれるこのお祭りは、ロングアイランドの秋の風物詩なのだそうです。かつては牡蠣の産地として有名だったこの町は、第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトゆかりの地としても知られるそうで、今から23年前、セオドア・ルーズベルトの生誕125周年を記念して開催されたパレードが形を変えて引き継がれているようです。

事前にOyster FestivalのHPをチェックしたところ、毎年土日の2日間で150,000人ものお客さんがやって来るとあったので、駐車場を確保するために早めに出かけましたが、1時間も早く到着してしまったため、しばらく準備中のテントを眺めながら時間をつぶしました。前日までひどい大雨だったのでお天気が心配でしたが、朝には小雨程度になり、Festivalの始まる11時頃には青空も見えてきて、お祭り日和の1日となったようです。

肝心なお祭りの内容はすぐに帰ってきてしまったためわかりませんが、名物の生牡蠣はいくらでも食べられる気がしました。実は我が家は旦那がひどい牡蠣アレルギーなので、生牡蠣どころかオイスターソースで作った料理も滅多に食べられません(涙)。私は大好物なのに…。

ということで、私はここぞとばかりに生牡蠣ふた皿を独り占めし、エキスでも反応してしまう旦那さまは念入りにテントを物色し、牡蠣を一切扱っていないお店でクラムチャウダーとGyroを買って食べていました。(牡蠣鍋のあとのスープで作ったおかゆですらあたるらしい。)かわいそうに…。



なお、Oyster BayのSagamore Hillには、セオドア・ルーズベルトが1885年から亡くなるまで住んだ家があるそうです。(1902年から1908年まで"Summer White House"とも呼ばれた。)

ルーズベルト家は1650年頃にオランダのハールレムから、当時ニューアムステルダムといわれていたニューヨークに移住し、18世紀に「ハイドパーク・ルーズベルト」家と「オイスター・ベイ・ルーズベルト」家に分かれたようです。両家は政治的に違いはありましたが、親交は深かったようです。もちろんセオドア・ルーズベルトはオイスター・ベイ・ルーズベルト家の出身ですが、第32代アメリカ大統領のフランクリンルーズベルトはハイドパーク・ルーズベルト家の出身だそうで、セオドア・ルーズベルトの従兄弟にあたるそうです。すごい血縁ですね…。

ちなみに「テディベア」の名前がセオドア・ルーズベルトの愛称「テディ」にちなんだものというのは有名な話ですが、大統領官邸がホワイトハウスと呼ばれるようになったのも、セオドア・ルーズベルト時代からなのだとか…。Wikipedeiaには、彼の息子たちが真っ白な官邸をホワイトハウスと呼んだことから、この名前が定着したという説明がありました。時間があったら、一度Sagamore Hillに行ってみようと思います。


追記:明日から両親がNYにやってきます。今日はバタバタして写真の整理ができなかったので、Oyster Festivalの写真は後日アップします。
by ny-cafe | 2005-10-19 13:47 | I love Long Island