夫の両親一行、従姉とともに、2週続けてランカスターの
Amish Farm & Houseへ出かけてきました。3月末にもミズーリに留学中の「いとこのいとこ」と出かけたので、今回は下見もばっちり。館内を見学するツアーに参加し、アーミッシュの生活や歴史に触れてきました。(注:右下の写真はLancasterのサイトから勝手に拝借。)
◇アーミッシュの歴史など
アーミッシュとはプロテスタントのメノー派に属していたスイス人、ヤコブ・アマン(Jacob Amman)を指導者として、17世紀末にメノナイトから分離して新たに結成された一派のことを指します。教義の厳しい戒律が徐々に緩んできたメノナイトから離れてヤコブに従った人々はアマン派と呼ばれ、それがアーミッシュの名前の由来になっているそうです。ヤコブは厳格な聖書の解釈を保つべきだと考え、1693年に寛大になりすぎたアーミッシュを去りますが、彼が去った後もアーミッシュは信仰を守り続けました。
アーミッシュがアメリカにやってきたのは1700年代のこと。クエーカー教徒だったウイリアム・ペンの政策によって数多くの宗教グループがペンシルバニアに落ち着く中、アーミッシュも宗教の自由が約束されたことから、この地に移り住んできました。ちなみに現在アーミッシュはアメリカ22の州とカナダに存在しますが(そのうち2万人はランカスターの半径35マイル圏内に住んでいる)、ヨーロッパには存在しないそうです。
アーミッシュは教会を持たず、また幼児の洗礼を信じていないのが特色のひとつです。ランカスターには117のアーミッシュの教区があり、それぞれ20~30世帯が属しています。教区には抽選で選ばれた司教と牧師がいて、2週間ごとに礼拝が行われます。これがオールド・オーダーハウス・アーミッシュと呼ばれる由来だそうです。礼拝は教区内の家々をを転々として行われ、年に1度か2度、それぞれの家で礼拝が行われる仕組みになっているようです。
アーミッシュでは若者が教会に所属するかどうか、彼ら自身で決めることができます。結婚する時まで、または20歳の後半までに教会に所属するかどうかを自分で決め、教会に所属したときに洗礼を受けます。もちろん教会に所属したら、教会が認めていないことは全て諦めなければなりません。
一方教会に所属しないことを決めた場合も、それは認められます。しかし一度教会に所属し、その後に教会を離れることを決めた場合は大変で、家族や友人から追放されます(追放も聖書の一節らしい)。また、メンバーが教会のルールを守らなかったときにも、教会から破門されるか追放されます。アーミッシュは追放された者から物を買ったり、追放された者に物を売ったりできないほか、追放されたものは教会の礼拝に参加できません。そしてメンバーの家を訪問したときには、洗礼を受けたものと同じテーブルで食事ができないそうです。
なお、アーミッシュの人々は特殊なコミニュティで生活せず、アーミッシュ以外の近所の人々とも交友関係を持つそうです。アーミッシュは近代的で便利なものを罪のあるものとは考えていませんが、それらは宗教や家族、コミニュティライフを破壊するものと考えています。そのため一般の生活のように近代的な世界にならないよう、どこかで止めなくてはいけないと考えているそうですが、彼らの信じる生活や理念を他人に押し付けることはないそうです。
◇フロントルーム
左はフロントルームと呼ばれる部屋で、ここで礼拝が行われます。礼拝を控えた家は、必要でない家具を外に出し、教区が所有している背もたれのないベンチを運び込んで準備を整えます。礼拝当日は150~250人が集まり、男性と少年は片側に、その反対側に女性と少女が座るそうです。ちなみに賛美歌はドイツ語で歌われ、聖書もドイツ語で読まれますが(聖書は新約聖書と旧約聖書が使われる)、説教はペンシルバニアダッチが使われるそうです。
教会の礼拝は8時半頃から始まり、12時頃に終わります。終了後は先に男性用の軽食が用意され、あとから全員分の食事が用意されるそうです。
晩餐は春と秋の年に2回、献金も1年に2回だけ行われるそうです。献金によって集められたお金は司教によって銀行に預けられ、経済的に必要な人に使われるそうです。
◇キッチン
キッチンは家の中で一番大きな部屋で、リビングとしても使われます。アーミッシュの家には電気がありませんが、家の明かりは灯油とプロパンランプが使われます。またセントラルヒーティングのかわりに、木や石炭のストーブで部屋を暖めるそうです。(キッチンからのストーブパイプや通気口によって、2階は暖められる。)キッチンは家の中で唯一暖房された部屋でもあります。プロパンガスによる冷蔵庫と洗濯機があり、料理用には木や石炭ストーブが使われるそうです。食材は近所のグロッサリーなどで購入し、時にはレストランで食事をすることもあるそうです。
なお、アーミッシュの家には基本的に電話がありませんが、中には道路に近い小屋や納屋に電話がある家があるそうです。これは飼料の注文や非常時など、仕事のためだけに使われるもので、家の中には置かれません。アーミッシュにとって電話は無駄な時間や雑談と考えられるのだそうです。
◇少女の部屋
アーミッシュには7~12人の子どもがいて、通常3~4人でひと部屋を使います。左は少女が身につける洋服ですが、無地で大柄なプリントやパターンは使われません。
歩き出す前の小さな子どもはつなぎ(写真右)を着ますが、少女は成長するに従って母親と同じようなエプロン付きの洋服を着ます。少女が10~12歳になると、ドレスの上にまっすぐなピンでエプロンをつけるようになり、成人して教会で洗礼を受けたあとは、女性の洋服には一切ボタンが使われなくなります。
これはアーミッシュが生まれた1600年代後期に、女性はボタンを宝石として使っていたためで、宝石を身につけないアーミッシュの習慣が今でも続いているからだそうです。ちなみにボタンの代わりに、まっすぐなピンが使われます。何かの拍子に体に刺さらないのでしょうか…。
独身の少女は、教会に行く際にベッドの上に飾られた白いケープとエプロンをつけます。白いネットのようなケープをかぶるのは、聖書の一節で女性は頭を覆うべきであるとあるからだそうです。
なお、左上の写真、ベッドのすぐ隣に吊るされた青いドレスが結婚式に着る衣装だそう。アーミッシュの結婚式には特別なドレスはなく、また結婚指輪もありません。女性は結婚の前の日までこの白いエプロンをつけますが、結婚後はしまわれ、そして死後に埋葬されるときに再びつけるそうです。
ちなみにアーミッシュの若者で結婚を希望するものは、司教の許可を受けなければなりません。一般的に結婚式は10月中旬~12月中旬の火曜日か木曜日に、新婦の家で行われるそうです。
正式な招待状はなく、口伝えや手紙によってゲストは招待され、250~400人が集まるそうです。この日は新婦の家族によって、正式な2回の食事が準備されます。もちろん離婚は認められないそう。結婚準備として、ティーンエイジの少女は誕生日などのプレゼントしてきれいなお皿やグラスを少しづつて受け取るそうです。
なお、左の3枚の写真のうち、1番下はアーミッシュの伝統的なキルトのパターンです。アーミッシュキルトは無地の布を組み合わせるのが特徴です。ちなみにベッドの上にかかってるカバーは販売用のもので、アーミッシュキルトではありません。
◇少年の部屋
小さな男の子は父親と同じような服を着ますが、少年はサスペンダーで吊るされた幅広のパンツをはきます。シャツの色は女性と同じですが、女性のものと違い、ボタンやスナップがついています。仕事用のコートにもボタンはありますが、正式なベストやコートにはボタンは使われず、メタルのフックや玉が使われます。これは1600年代後期、男性にとってボタンは軍隊の象徴だったためで、平和主義のアーミッシュでは現在でも正式な洋服にはボタンを使わないそうです。ベッドの上の麦藁帽は屋外で働くときや暑い気候の時用のもの。教会に行くときや寒い時は、黒いフエルト帽をかぶります。ちなみに結婚前は髭をそりますが、結婚後は髭を伸ばすそうです(鼻髭は伸ばさない)。
なお、アーミッシュの少年は16歳くらいで最初の馬車を購入するそうで、洗礼前はステレオつきの馬車があったり、運転免許を取り、車を持っている若者もいるそうです。
◇両親の部屋
両親の部屋は、普通1階のキッチンの隣に置かれます。これは緊急の事態に素早く農場に出かけることができるから、また新生児のために温かい部屋が必要だからです。
大人の洋服は子どもとほぼ同じですが、少し暗い色を着るのが一般的なようです。白いシャツは、教会へ行くときや正装が必要なときに着ます。寒い日には男性はコートを着ますが、女性はショールを羽織ったりセーターを重ねて着るだけで、コートを着ることは滅多にないそうです。
アーミッシュの家には写真のように緑のカーテンが下がってるのが一般的で、女性たちの手によって窓辺に緑が上手に飾られるそうです。
なお、アーミッシュの家には写真がありません。写真は聖書の偶像に関連した教義に反すると考えられ、中でも自分の写真をもつことは自慢することになると考えられているからだそうです。アーミッシュにカメラを向けてはいけないと言うのはこのためだったんですね…。ちなみに写真の代わりに、家族の名前と誕生日を記入した記録を持っているそうです。
館内の見学が終わった後は、外に出て納屋や家畜小屋を自由見学。道路に面した敷地の一番はしにはCoverd Bridgeもあります。晴れた日にはアーミッシュの家らしく、右の写真のように洗濯物もつるされています。
渡米したばかりの頃はなかなか乾燥機が使えず、セントラルヒーティングが施された段ボール部屋に洗濯物を干していましたが、最近はすっかり便利で快適な生活に慣れてしまったなぁと反省。アーミッシュのシンプルな生き方に、はっとさせられました。
なお、Amish Farm & Houseはもともとアーミッシュの家族が生活していた建物とファームを買い取って1955年から一般に公開しているもので、館内は英語ツアーでのみ見学できます。受付に日本語の解説(A4で6ページ分)があり、これを読むだけでもアーミッシュの生活が大分分かると思うので、チケットを購入する際に聞いてみてください。(今日の日記はこの日本語の説明をかなり流用しています。)ちなみにこの建物には、アーミッシュの方は基本的にいないと思われます。また、AAA会員の方は$1オフになるので会員カードをお忘れなく~(笑)。
Amish Farm & Houseを見学したあとは、Intercoureの町を抜けて、半分道に迷いながらドライブするのがおすすめ。私たちはIntercouseの観光Villageで短い休憩を取ったあとに適当に細い道に入り、Lancasterののどかな景色を堪能しました。写真は3月末に撮ったものですが、北海道の美瑛にあるパッチワークの丘のような景色が広がっていて、この辺りはドライブするだけでも気持ち良いです。アーミッシュの人々や家、それに馬車を頻繁に見かけることもできます。Lancasterは奥が深そうなので、色々調べて改めて訪れたいと思います!
なお、夫の父は無類の映画好きですが、1985年に公開されたハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック/目撃者』という映画を見たそうで、Armish Farm & Houseで読んだアーミッシュの説明がオーバーラップしたと言っていました。アーミッシュやペンシルバニアダッチについては過去の日記にも書いたので、良かったらそちらものぞいてみてください!
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